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人柱の話
ひとばしらのはなし
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「續南方隨筆 覆刻」 沖積舎
1992(平成4)年7月20日
初出「變態心理 第十六卷第三號」1925(大正14)年9月
入力者小林繁雄
校正者染川隆俊
公開 / 更新2012-03-15 / 2014-09-16
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

(南方閑話にも收めたれど、一層増補したる者を爰に入る)

 建築土工等を固めるため人柱を立てる事は今も或る蕃族に行なはれ其傳説や古蹟は文明諸國に少なからぬ。例せば印度の土蕃が現時も之を行なふ由時々新聞にみえ、ボムパスのサンタルパーガナス口碑集に王が婿の強きを忌んで、畜類を供えても水が湧かぬ涸池の中に乘馬のまゝ婿を立せると流石は勇士で、水が湧いても退かず、馬の膝迄きた、吾が膝まできた、脊迄きたと唄ひ乍ら、彌々水に沒した。其跡を追つて妻も亦其池に沈んだ話がある。源平盛衰記にも又清盛が經の島を築く時白馬白鞍に童を一人のせて人柱に入れたとあれば乘馬の儘の人柱も有つたらしい。但し平家物語には、人柱を立てようと議したが罪業を畏れ一切經を石の面に書いて築いたから經の島と名附けたとある。
 今少し印度の例を擧げると、マドラスの一砦は建築の時娘一人を壁に築き込んだ。チユナールの一橋は何度かけても落ちたから、梵種の娘を其地神に牲にし、其れがマリー乃ち其處の靈と成り凶事ある毎に祭られる。カーチアワールでは城を築いたり塔が傾いたり池を掘るも水が溜らぬ時人を牲にした。シカンダールブール砦を立てた時梵種一人とヅサード族の娘一人を牲にした。ボムベイのワダラ池に水が溜らなんだ時村長の娘を牲にして水が溜つた。シヨルマット砦建立の際一方の壁が繰返し落ちたので或る初生の兒を生埋すると最早落ちなんだといふ。近頃も人口調査を行なふ毎に僻地の民は是は橋等の人柱に立てる人を選ぶ爲めだと騷ぎ立つ。河畔の村人は橋が架けらるゝ毎に嬰兒を人柱に取られると驚惶する。(一八九六年版クルックの北印度俗宗及俚俗卷二頁一七四。一九一六年版ホワイトヘッドの南印度村神誌六〇頁)パンジャブのシァルコット砦を築くに東南の稜堡が幾度も崩れたので、占者の言に據り寡婦の獨り子の男兒を牲にした。ビルマにはマンダレイの諸門の下に人牲を埋めて守護とし、タツン砦下に一勇士の屍を分ち埋めて其砦を難攻不落にし、甚しきは土堤を固めん爲め皇后を池に沈めた。一七八〇年頃タヴォイ市が創立された時、諸門を建るに一柱毎の穴に罪囚一人を入れ上より柱を突込んだ故四方へ鮮血が飛び散つた。其靈が不斷其柱の邊にさまよひ近付く者を害するより全市を無事にすと信ぜられたのだ。(タイラー原始人文篇、二版一卷、一〇七頁。バルフォールの印度百科全書三版四七八頁)
 支那には春秋時代呉王闔閭の女藤王がすてきな疳癪持ちで、王が食ひ殘した魚をくれたと怒つて自殺した。王之を痛み、大きな冢を作つて金鼎玉杯銀樽等の寳と共に葬むり、又呉の市中に白鶴を舞はし萬民が觀に來たところ、其男女をして鶴と共に冢の門に入らしめ機を發して掩殺した。(呉越春秋二。越絶書二)生を殺して以て死に送る國人之を非とするとあるから無理に殉殺したのだが、多少は冢を堅固にする意も有つたらう。史記の滑稽列傳に見えた魏の文侯の時…

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