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清見寺の鐘声
せいけんじのしょうせい
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「現代日本文學全集 第十三篇」 改造社
1928(昭和3)年12月1日
入力者三州生桑
校正者今井忠夫
公開 / 更新2004-01-19 / 2014-09-18
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 夜半のねざめに鐘の音ひゞきぬ。おもへばわれは清見寺のふもとにさすらへる身ぞ。ゆかしの鐘の音や。
 この鐘きかむとて、われ六とせの春秋をあだにくらしき。うれたくもたのしき、今のわが身かな。いざやおもひのまゝに聽きあかむ。
 秋深うして萬山きばみ落つ。枕をそばだつれば野に悲しき聲す。あはれ鐘の音、わづらひの胸にもの思へとや、この世ならぬひゞきを、われいかにきくべき。怪しきかな、物おもふとしもあらなくに、いつしかわが頬に涙ながれぬ。
 間どほなる鐘の音はそのはじめの響きを終りぬ。われは枕によりて消ゆるひゞきのゆくへもしらず思ひ入りぬ。
 第二の鐘聲起こりぬ。夜はいよ/\しめやかにして、ひゞきはいよ/\冴えたり。山をかすめ、海をわたり、一たびは高く、一たびはひくく、絶えむとしてまたつゞき、沈まむとしてはまたうかぶ。天地の律呂か、自然の呼吸か、隱としていためるところあるが如し。想へばわづらひはわが上のみにはあらざりけるよ。あやしきかな、わが胸は鐘のひゞきと共にあへぐが如く波うちぬ。
 おもひにたへで、われは戸をおしあけて磯ちかく歩みよりぬ。十日あまりの月あかき夜半なりき。三保の入江にけぶり立ち、有渡の山かげおぼろにして見えわかず、袖師、清水の長汀夢の如くかすみたり。世にもうるはしきけしきかな。われは磯邊の石に打ちよりてこしかた遠く思ひかへしぬ。
 おもへば、はや六歳のむかしとなりぬ、われ身にわづらひありて、しばらく此地に客たりき。清見寺の鐘の音に送り迎へられし夕べあしたの幾そたび、三保の松原になきあかしゝ月あかき一夜は、げに見はてぬ夢の恨めしきふし多かりき。
 六とせは流水の如く去りて、人は春ごとに老いぬ。清見潟の風光むかしながらにして幾度となく夜半の夢に入れど、身世怱忙として俄に風騷の客たり難し。われ常にこれを恨みとしき。
 この恨み、果さるべき日は遂に來りぬ。こぞの秋、われ思はずも病にかゝりて東海のほとりにさすらひ、こゝに身を清見潟の山水に寄せて、晴夜の鐘に多年のおもひをのべむとす。ああ思ひきや、西土はるかに征くべかりし身の、こゝに病躯を故山にとゞめて山河の契りをはたさむとは。奇しくもあざなはれたるわが運命かな。
 鐘の音はわがおもひを追うて幾たびかひゞきぬ。
 うるはしきかな、山や水や、僞りなく、そねみなく、憎みなく、爭ひなし。人は生死のちまたに迷ひ、世は興亡のわだちを廻る。山や、水や、かはるところなきなり。おもへば恥かしきわが身かな。こゝに恨みある身の病を養へばとて、千年の齡、もとより保つべくもあらず、やがて哀れは夢のたゞちに消えて知る人もなき枯骨となりはてなむず。われは薄倖兒、數ならぬ身の世にながらへてまた何の爲すところぞ。さるに、をしむまじき命のなほ捨てがてに、ここに漂浪の旦暮をかさぬるこそ、おろかにもまた哀れならずや。
 鐘の音はまたいくたびかひゞきわ…

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