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塩原多助一代記
しおばらたすけいちだいき
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「圓朝全集 巻の十二」 近代文芸資料複刻叢書、世界文庫
1963(昭和38)年8月10日
入力者小林繁雄
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2011-03-15 / 2014-09-16
長さの目安約 277 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

序詞
炭売のおのが妻こそ黒からめと。吟ぜし秀句ならなくに。黒き小袖に鉢巻や。其の助六がせりふに云う。遠くは八王寺の炭焼。売炭の歯欠爺。近くは山谷の梅干婆に至る迄。いぬる天保の頃までは。茶呑咄しに残したる。炭売多助が一代記を。拙作ながら枝炭の。枝葉を添て脱稿しも、原来落語なるを以て。小説稗史に比較なば。所謂雪と炭俵。弁舌は飾れど実の薄かるも。御馴染甲斐に打寄る冠詞の前席から。ギッシリ詰る大入は、誠に僥倖当り炭。俵の縁語に評さえ宜を。例の若林先生が。火鉢にあらぬ得意の速記に。演舌るが儘を書取られしが。写るに速きは消炭も。三舎を避る出来栄に、忽ち一部の册子となりぬ。抑この話説の初集二集は土竈のパットせし事もなく。起炭の賑やかなる場とてもあらねど後編は。駱駝炭の立消なく。鹽原多助が忠孝の道を炭荷と倶に重んじ。節義は恰も固炭の固く取て動かぬのみか。獣炭を作りて酒を煖めし晋の羊[#挿絵]が例に做い。自己を節して費用を省き。天下の民寒き者多し独り温煖ならんやと曰いし。宋の太祖が大度を慕い。普く慈善を施せしも。始め蛍の資本より。炭も焼べき大竈と成りし始末の満尾迄。御覧を冀うと言よしの。端書せよとの需はあれど。筆持すべも白炭や。焼ぬ昔の雪の枝炭屋の妻程黒からで鈍き作意の炭手前。曲り形なる飾り炭。唯管炭のくだ/\しけれど。輪炭胴炭点炭と重ねて御求めの有之様。出版人に差代り。代り栄せぬ序詞を。斯は物しつ。
三遊亭圓朝記
[#改丁]



 扨申上げまするお話は、鹽原多助一代記と申しまして、本所相生町二丁目で薪炭を商い、天保の頃まで伝わり、大分盛んで、地面二十四ヶ所も所持して居りました。其の元は上州沼田の下新田から六百文の銭をもって出て参りました身代でござります。其の頃の落首に「本所に過ぎたるものが二つあり津軽大名炭屋鹽原」と歌にまで謡われまして、十万石のお大名様と一緒に喩えられます位になる其の起源は、僅かの端銭から取立てまして、五代目まで続きました。其の多助の身の行いの正しいのと、孝行なのと、殊に商法の名人で経済に長じていることは、立派な学者でもかなわん程で、多助は別に学問もありませんが、実に具わって居りますので、今に浅草八軒寺町の東陽寺という寺の墓場に鹽原多助の石碑がありますが、其の石碑に実父鹽原角右衞門、養父も鹽原角右衞門と法名が二つございますが、実父も養父も同姓同名でござりますから種々と調べて見ますと、上州沼田の下新田にまだ縁類も残って居りますから聞糺しますと、実父角右衞門は元と阿部伊豫守様の御家来で、八百石を領りました者ですが、何ういう訳か浪人して行方知れずになりました。其の角右衞門の家に勤めました岸田右内という御家来がありまして、其の者が若気の至りで、角右衞門の御新造の妹おかめと密通をして家出をいたし、本郷春木町に裏家住いをいたしまして、名も岸田屋宇之助と改め、旅商い…

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