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静かなる羅列
しずかなるられつ
作品ID4433
著者横光 利一
文字遣い新字旧仮名
底本 「短篇小説名作選」 現代企画室
1981(昭和56)年4月15日
初出「文藝春秋」1925(大正14)年7月号
入力者土屋隆
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2004-03-10 / 2014-09-18
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

    一
 Q川はその幼年期の水勢をもつて鋭く山壁を浸蝕した。雲は濃霧となつて溪谷を蔽つてゐた。
 山壁の成層岩は時々濃霧の中から墨汁のやうに現れた。濃霧は川の水面に纏りながら溪から溪を蛇行した。さうして、層々と連る岩壁の裂け目に浸潤し、空間が輝くと濃霧は水蒸気となつて膨脹した。
 Q川を挾む山々は、此の水勢と濃霧のために動かねばならなかつた。
 その山巓の屹立した岩の上では夜毎に北斗が傲然と輝いた。だが、その豪奢を誇る北斗はペルセウスの星が、刻々にその王位を掠奪しようとして近づきつゝあることには気附かなかつた。その下で、Q川は隣接するS川と終日終夜分水界の争奪に孜々としてゐた。
    二
 Q川の浸蝕する狭隘な溪谷へは人々の集団は近づいて来なかつた。それにひきかへ、S川の穏やかな溪谷には年々村落が増加した。
 その国土の時代では、久しく天下に王朝時代が繁栄した。そのため、彼らの圧制は日毎に民衆の上に加はつた。
 Q川は地質時代の軟弱な地盤を食ひ破つた。さうして、その河口にひとり黙々として堆積層のデルタを築き上げてゐるとき、その国土では、遂に鬱勃としてゐた民衆の反抗心が王朝に向つて突激を開始した。
 民衆と王朝の激烈な争闘は続けられた。王朝はその久しい優惰のために敗北した。彼ら一党は民衆のために虐殺された。さうして、僅かに残つた数人は人目を忍んで人跡稀なQ川の濃霧の中へ逃げて来た。
 彼らは武装を解いた。山々は嶮峻に彼らを守りながら季節に従つて柔かに青葉を変へた。彼らは高い山壁の傾斜層に細々とした径をつけた。さうして、彼らは溪流を望んだ岩角でひそかに彼らの逞しい子孫を産んでいつた。
    三
 Q川とS川との分水界の争奪は益々激烈になり出した。S川は恐らく数回の勝利を物語りながら、その河口に壮大な砂の堆積層を築いていつた。此のため、S川の浸蝕力は、Q川に比べてはるかに緩漫になり出した。だが、S川のその堆積層のデルタは、徐々として海面から壮麗に浮かび上つた。新しい滑かな処女地が河口を挾んで生れて来た。人々の集団はデルタの平野の上に訥朴な巣を造つた。彼らは純然たる土民であつた。彼らはその国土の支配者に屈服しながら、耕作しなければならなかつた。だが、彼らの国土の支配者は既に民衆ではなかつた。
 曾て、王朝は民衆に顛覆された。しかし王朝を顛覆さした民衆は、再び彼らの野蛮な総帥のために支配されねばならなかつた。さうして、封建時代が堅実に彼らの国土の上へ君臨した。軈て、S川の造つた開析デルタの上へ一つの城が築かれた。
    四
 Q川の活動は幼年期から壮年期に這入つていつた。その水勢の浸蝕力は横に第三紀層の緩斜層を突き崩して拡つた。此のため、S川へ流れる分水界の水量は、その均衡を破つて次第にQ川の水流に誘惑された。
 Q川を繞る綿々とした濃霧の中では、王朝時代の…

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