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An Incident
アン インシデント
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代文学大系 22 有島武郎集」 筑摩書房
1964(昭和39)年11月25日
初出「白樺」1914(大正3)年4月
入力者さくらいゆみこ
校正者浅原庸子
公開 / 更新2004-03-08 / 2014-09-18
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 彼はとう/\始末に困じて、傍に寝てゐる妻をゆり起した。妻は夢心地に先程から子供のやんちやとそれをなだめあぐんだ良人の声とを意識してゐたが、夜着に彼の手を感ずると、警鐘を聞いた消防夫の敏捷さを以て飛び起きた。然し意識がぼんやりして何をするでもなくそのまゝ暫くぢつとして坐つてゐた。
 彼のいら/\した声は然し直ぐ妻を正気に返らした。妻は急に瞼の重味が取り除けられたのを感じながら、立上つて小さな寝床の側に行つた。布団から半分身を乗り出して、子供を寝かしつけて居た彼は、妻でなければ子供が承知しないのだと云ふことを簡単に告げて、床の中にもぐり込んだ。冬の真夜中の寒さは両方の肩を氷のやうにしてゐた。
 妻がなだめたならばと云ふ期待は裏切られて、彼は失望せねばならなかつた。妻がやさしい声で、真夜中だからおとなしくして寝入るやうにと云へば云ふほど、子供は鼻にかゝつた甘つたれ声で駄々をこねだした。枕を裏返せとか、裏返した枕が冷たいとか、袖で涙をふいてはいけないとか、夜着が重いけれども、取り除けてはいけないとか、妻がする事、云ふ事の一つ/\にあまのじやくを云ひつのるので、初めの間は成るべく逆らはぬやうにと、色々云ひなだめてゐた妻も、我慢がし切れないと云ふ風に、寒さに身を慄はしながら、一言二言叱つて見たりした。それを聞くと子供はつけこむやうに殊更声を曇らしながら身悶えした。
 彼は鼻の処まで夜着に埋まつて、眼を大きく開いて薄ぼんやりと見える高い天井を見守つたまゝ黙つてゐた。晩くまで仕事をしてから床に這入つたので、重々しい睡気が頭の奥の方へ追ひ込められて、一つのとげ/\した塊的となつて彼の気分を不愉快にした。
 彼は物を云はうと思つたが面倒なので口には出さずに黙つてゐた。
 十分。
 十五分。
 二十分。
 何んの甲斐もない。子供は半睡の状態からだん/\と覚めて来て、彼を不愉快にしてゐるその同じ睡気にさいなまれながら、自分を忘れたやうに疳を高めた。
 斯うしてゐては駄目だ、彼はさう思つて又むつくり起き上つて、妻の傍にひきそつて子供に近づいて見た。子供はそれを見ると、一種の嫉妬でも感じたやうに気狂ひじみた暴れ方をして彼の顔を手でかきむしりながら押し退けた。数へ年の四つにしかならない子供の腕にも、こんな時には癪にさはる程意地悪い力が籠つてゐた。
「マヽちやんの傍に来ちやいけない」
 さう云つて子供は彼を睨めた。
 彼は少し厳格に早く寝つくやうに云つて見たが、駄目だと思つて又床に這入つた。妻はその間黙つたまゝで坐つて居た。而して是れほど苦心して寝かしつけようとしてゐるのに、その永い間、寒さの中に自分一人だけ起して置いて、知らぬげに臥てゐる彼を冷やかな心になつて考へながら、子供の仕打ちを胸の奥底では justify してゐるらしく彼には考へられた。
 彼は子供の方に背を向けて、そつちには…

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