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海坊主の話
うみぼうずのはなし
作品ID45141
著者土田 耕平
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本児童文学大系 第九巻」 ほるぷ出版
1977(昭和52)年11月20日
入力者菅野朋子
校正者noriko saito
公開 / 更新2013-09-03 / 2014-09-16
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は子供の時分のことを思ひおこす時、何よりもさきに髯の爺のすがたが目に浮んで来ます。ふさ/\とした長い髯を生してゐましたところから、私は髯のぢい、髯のぢいと呼びなれましたが、今考へて見ますと、ぢいはその頃まだ五十にはなつてゐなかつたはずであります。その長い髯と、眠つてゐるやうな細い目と、皺のよつた顔とが、ぢいをいかにも年よりらしく見せました。
 髯のぢいは、朝に夕に私の家へたづねて来ました。庭向きの縁に腰をかけて、長いきせるで煙草をふかしながら、家の祖母と話しこんでゐるぢいの顔つきは、いつ見ても楽しさうでした。ぢいは大口をあいてから/\と笑ふので、そのふさ/\した髯が笑ふたびに波立ちます。いつも見なれてゐる顔だけれど、私はふしぎなものを見るやうにその髯を見つめました。ぢいは祖母との話がとぎれると、庭さきでひとり土いぢりをしてゐる私の方へ向きなほつて、とぼけた顔つきで、
「弘法大師、どうぢやな。」
 などと云ひかけます。私の名まへが弘蔵と云つたところから、ぢいはたはむれて私を弘法大師と呼びました。私が、泥手のまゝ跳びつくのもかまはず、ぢいは私をしつかりと抱きかゝへて、その長い髯を顔におしつけます。くすぐつたくなつて身をもがくけれど、なか/\離してくれません。そこで私は、泥手でぢいの髯をおしのけてやります。
「コレ、そのやうな汚ないことをすると、もうこれきり、髯のぢいさまは来ませんぞ。」
と、かたはらの祖母が云ひますけれども、それはたゞ口さきのことで、腹の中では何とも思つてゐないようすです。それが私にも分りますので、いよ/\ぢいに向つてわがまゝをします。ぢいは又私のわがまゝをそゝのかして、かへつて喜んでゐるといふ風でした。それで、門口から入つて来る時は、誰にあいさつするよりもさきに、
「弘坊ゐたかな。」
と云つてにこ/\してゐます。髯のぢいが来ると、家の中が急にあかるくなるやうに思はれました。私の家は、父が早く亡くなつて、祖母と母と三人ぐらしでしたが、母もこの髯のぢいを好いてゐました。恐らく誰にしても、髯のぢいを好かぬ人はなかつたでせう。
 私はまた祖母につれられて、つね/″\髯のぢいの家にあそびに行きました。私の家は、村の南はづれ、ぢいの家は北はづれでしたが、山の中の小さい村のことゆゑ、道のりは四五町にすぎません。草ぶき屋の間の石ころ道を、祖母に手をひかれて行き/\しました。髯のぢいは、物おき小屋のやうな小さな家にたゞ一人住んでゐました。戸をあけて入ると、土間につゞいてせまい室が一つあるだけでした。室のすみには炉が切つてあり、正面の壁にあみだ様の画像がかけてあります。その画像の前には、いつも香のけむりがうづまいてゐました。
 ぢいは、あみだ様のまへに坐つて、お経をあげてゐることがよくありました。そんな時は、祖母と私は、炉のそばに静かにして、お経のおはるのを待…

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