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黄昏の堤
たそがれのつつみ
作品ID45287
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第三巻」 筑摩書房
2002(平成14)年5月20日
初出「若草 第五巻第十号」宝文館、1929(昭和4)年10月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-08-31 / 2014-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 小樽は、読みかけてゐるギリシヤ悲劇の中途で幾つかの語学に就いての知識を借りなければならないことになつて、急に支度を整へて出かけた。停車場の辺まで来ると時間で出るバスが恰度出発したばかりのところで、走つて行くのが行手に見えた位だつたので、一層一ト思ひに! と思つて、大胯で歩き出したのである。
 彼は真向うに見える丘を一つ越えた村にゐる友達の青野を訪れるのであつた。少々歩を速めれば、国道を回り道をして行くバスに比べて、此方は一直線に田甫道を寄切つて丘を伝うて進むのだから時間の相違は殆ど同じ程度だらう――などと思つて彼はステツキを振りながら彼方此方に月見草が咲いてゐる夕暮時に近い田甫道を小川のへりに沿うて急いで行つた。秋めいた微風が吹きはじめた頃で、たゞの散歩なら至極快い美しい眺めの田園風景なのだが、小樽は脇目も触れずに、上着を脱いでも汗は滲ませながら郵便脚夫のやうに忠実に進んで行つた。青草が靴を深く埋める程の小径である。
「途中で日でも暮れたら往生だぞ!」
 田舎の夜道に慣れない彼は斯んなことを呟いて、頻りに腕時計と消えかゝりさうになつてゐる夕映の空ばかりを気にしなから、口笛を吹いたりした。
 そんな風に彼は道を急いでゐたが、最初の思惑とは違つて、どうやら丘にまでも行き着かないうちに日が暮れさうな模様だつた。
「斯んなことなら明日にすれば好かつたものを――」
 などゝ彼は後悔したが、今更引返すわけにもゆかない、道の中ばに達してゐた。遥か遠くの山裾にある人家に、もうポツポツと灯などが点きはじめてゐた。
「愚図々々してはゐられない!」
 歩きはじめてから一刻だつて愚図々々などしたわけでもないのに彼は、達磨のやうな眼をしてそんなことを呟いた。
「駈けろ/\!」
 不図、思ひ出すと斯んな馬鹿な話がある。つい此間のことである。遊びに来た青野が、彼に真面目に、青野の村の村長が或る夕暮時に、さうだ恰度この辺だ! 小川の流れが左に迂回してゐる水門のほとりだと云つた! ――狐に化されて酷い目に遇つたといふ凄い話を伝へた。あの時小樽は、
「馬鹿な/\!」と笑つて、てんで身を入れて聞きもしなかつたが、今、不意に、その現場のあたりで思ひ出すと、思慮なく寒気がして来た。青野から小樽が聞いた話の筋書は省略するが、「狐に化される」と云ふ言葉は変だが、斯んな風な精神状態の場合には在り得べきことだ――などと理学士の青野が、それを科学的に説明したことなどを思ひ出すと、すつかり非科学的な頭に今はなつてゐる小樽は、「在り得べきこと」ばかりが無闇に信じられて、脚はもう宙を踏む思ひに打たれてしまつた。
「村長だつて、君、相当の現代人なんだがね――」
 とも青野は、「在り得べきこと」を裏づけたつけ!
「逃げた/\/\、村長は、君、こいつはいけない! と思つたから、駈け出したんだよ。自分は、はつきり醒…

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