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好色夢
こうしょくむ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第六巻」 筑摩書房
2003(平成15)年5月10日
初出「中央公論 第五十巻第十号」中央公論社、1935(昭和10)年10月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-12-04 / 2014-09-21
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 回想
 父の十三回忌が一昨年と思はれ、たしかその歿後の翌年と回想される故指折れば早くも十星霜にあまる時が経ちしなり、故葛西善蔵氏が切りと余に力作をすゝめ、稿終るや氏は未読のまゝに故滝田哲太郎氏へおくられたるなり。その稿が幸ひにも大いに滝田氏の賞揚するところとなり、次々の作を滝田氏より多くの鞭韃を享けつゝ発表の期を得たるなり。最初の作「父の百ヶ日前後」また次の「悪の同意語」等の題名は滝田氏の与へられたるものなりき。葛西氏は屡々酒間に余をとらへて、君は滝田氏の末子なりきと云々されたるが、まことに今やその感も深く、五十周年の末席に列する栄を得たるは内に欣快の情を禁じ得ざるも、近来の吾上を省れば汗顔の至りなり。



 彼は何時も薄暗い部屋に閉ぢ籠つて、特に難解な哲学書に凝つてゐた。例へば、「物質的並びに精神的宇宙に関する論文」といふE・A・ポーの「ユリイカ」などゝいふ類ひのものだつた。彼は自ら一つ端の人間嫌ひと自覚してゐた。彼は折々卒倒したり、眠り薬の分量を間違へて止め度もなく眠り痴けた。そんな状態が三年越だつた。恐怖性神経衰弱症と診断されてゐた。彼はそんなことでは母に心配を掛けたくないと考へて音信不通のまゝ、あちこちの海辺や山峡ひに逃れて、稍ともすると蕨ばかりを喰ふ日が続いたが別段空腹も不満も覚えなかつた。精神的生活に満足しようねといふやうなことを、彼は稍黄色沁みた音声で細君に語つた。細君は陋巷の生活は得意であつた。彼は何時にも細君を女と感じた験もなかつた。細君に限らず、彼は一切の女性と口を利く興味もなかつた。哲学的妄想の結果だらうと想つた。
 ところが何うして彼の状態を遠方の母が知つたのか彼は神妙に首を傾げても不思議であるだけだつた。向う一年ばかりの間、養生費ともつかぬものを送るから、然し一ヶ月の定額は必ず厳守して、万一前借などを申し込む如き場合があつたら、それはもう健康態に戻つた徴と見なして、送金は打ち切るといふ約束だつた。
 彼は、その母の手紙を見た途端に年来の持病は一切快癒したやうだつた。――この時ほど彼は、自分に対して幻滅と軽蔑を覚えたことはなかつた。だが、まさか、もう治つたとも云へなかつたので、憂鬱さうな顔をして、静かにその手紙を細君へ渡すと、いつものやうにさもさも頭痛がするといふ風情に眼をつむつて、そして鼻柱を二本指でつまみながら自分の部屋へとつて返すと、手鏡をとつて一種の嗤ひ顔を写して見てゐた。不気嫌な時には如何にも頭痛に堪えられぬといふ露はなしぐさで、拳骨で首筋を叩いたり、鼻柱をつねつたりする彼の癖は、もともと母の遺伝であつた。母が縁側の椅子に腰をかけて、鼻をおさへてゐる折は、何んな類ひの無心でも享け容れられたこともなく、それはヒステリの発作で、一見して誰でもが近寄れなかつた。その代り天気がカラリとして、五月の鯉幟でもあげようといふころである…

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