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老猾抄
ろうかつしょう
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第六巻」 筑摩書房
2003(平成15)年5月10日
初出「東京朝日新聞 第一七八四六号」東京朝日新聞社、1935(昭和10)年12月22日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-12-09 / 2014-09-21
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

「もう私は一切酒は飲まない。」
 私の叔父にあたる岩城源造は余程神妙さうに繰返してゐた。
「それあ、結構ですね、一切飲まないといふことも無理でせうが、好い齢をしてカフエーに行くといふやうなことは……」
 などといひかけてゐるうちに私は、吾ながら思はず恐縮して頭を掻いた。私が人に向つて斯んな類の意見を口にするなど凡そ途方もない出来事に違ひなく、おまけに相手が六十歳にもならうといふ老人であつた。百円ばかりの金をもつて呉服物の買出に来たところ、晩飯を食ふうちに用事は翌日に延ばさうといふことになり、ついふら/\と酔ふうちに、大事の金を紛失してしまつたのである。たしかに何処何処のカフエーで落したから念の為に訊いて見て呉れといふので、私が行つて見ると田舎臭い白粉をごて/\と塗つた四五人の女が、ゲラ/\と笑つて、
「まあ、落したんですつて……あんまり気前好く振り撒いたので気まりが悪いんでせう。」
 と、その時の岩城の容子を話した。如何にも彼のやりさうもない振舞ひなのだが、私はあきれて赤くなつて引き返し、岩城といふと何処でも相手にしないので、私もあまり訪ねたこともない親戚へ赴いて借用した。六十にもなる年寄が、ぽろぽろと後悔の涙を滾してゐる姿を見ては、至つて無精な私も知らぬ顔も出来なかつたからである。――その齢まで一度も医者の薬を服んだことのないといふ源造は、
「恩に着るよ。」
 と堅く私の手を握つたりして、大手を振つて元気好く引きあげた。三里の道を二時間あまりで歩いて来るといふことだが、成る程、後悔に駆られてゐる折の姿は中風患者のやうであつたが、意気揚々と引きあげる段になると、三里位は一時間でも平気さうだつた。彼の村までは電車から降りて山径が三里あまりだつた。彼は真冬でも外套も着ずゲートルを巻いて、何の用があるか知らなかつたが三日にあげず町へ用達に来た。

          *

 私は彼が甲斐々々しく引きあげて行つた容子を快く思ひ出しながら読書に耽り、もう十二時も過ぎたから、そろ/\寝ようとしてゐると、
「お父さんが酔つ払つて、始末がつかないから直ぐ迎へに来て呉れ。」
 といふ使ひの車が来た。――お父さんが……といふのが奇妙だつたが、使ひの者のいひ間違へだらうと私は聞き流して、母には酔つた友達からだといつて出かけた。源造の上を不機嫌に憂慮するよりも、愚かな私は賑やかなところからの迎への方が嬉しさうであるかのやうだつた。
 昼間私が訊ねに行つた場末の、例の毒々しいカフエーで、扉をおさうとすると、二階から、
「うちの息子はまだ来ないか……」
 と源造の聞くも大風な声が洩れた。――私は、何やら憤ツとして荒々しく階段を登つた。源造は左右の女に凭り掛つて、見るも淫らがましい姿だつた。そして私の姿を見るがいなや、
「おい、何をぐず/\してんだい、けしからんぢやないか……アハハ……、…

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