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船の中の鼠
ふねのなかのねずみ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第五巻」 筑摩書房
2002(平成14)年7月20日
初出「文學界 第一巻第二号」文化公論社、1933(昭和8)年11月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-11-07 / 2014-09-21
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 都を遠く離れた或る片田舎の森蔭で、その頃私は三人の友達と共にジヤガイモや唐もろこしを盗んで、憐れな命をつないで居りました。あの村へ行けば、小生の所有になる古いけれどいとも大きな水車小屋があつて、明けても暮れても水車がどんどんと回つてお米を搗いて呉れるから、俺達の三人や五人は腕組をしてゐても安心だ、蜜柑畑もあるし麦畑もあり、海のやうに拡い稲の田もある、蜜柑を売り、麦は水車に搗かせてさへゐれば、お金は毎日毎日じやら/\といふ音をたてゝ蝗のやうに飛び込んで来る、それだからね、俺達は暮しの心配なんぞは無用で、「永遠の理想」のためと「尽きざる夢」のためにのみ根限りの頭をつかつて、互ひに一番、おもしろい小説を創り、精一杯の勉強をして来ようではないか――斯う云つて私は友達を誘ひ出したのでした。
 ところが、私達が谷を渡り山を越えて漸く水車小屋のある村にたどりついて、やれ嬉しやと胸を撫で降しながら小屋の扉を開けると、小屋の中には私の見も知らぬ荒くれ男が七人も十人も囲炉裡のまはりに大胡坐を掻き、てんでんに片方には米俵を肘突きにし、片方には白粉をつけた女共を引き寄せて、飲めや歌へ、踊れや踊れといふ大乱痴気の酒盛の最中でした。
「怪しからんぢやないか、断りもなしに他人の小屋に這入り込んで吾もの顔で威張り散らすとは何たる事だ。さつさつと出て行つて呉れ。」
 私はステツキをあげて扉口を指差しながら、憤然たる啖呵を切りました。
 すると正面の大黒柱の前で大盃を傾けてゐる五十格好の鬚男が、にやりと薄気味の悪い嗤ひを浮べて、
「手前達は何処からやつて来た風来坊か知らないが、この小屋諸共あたりの田地田畑は去年の秋かられつきと吾輩のものとなつてゐるといふことを知らんのだな。裁判所へ行つて訊いて来るが好いや。」
 と唸りました。
「盗人、黙れ――白か黒かの裁判などは試みぬ方が、寧ろお主の恥が秘せるといふものだらうぜ。済むだことは兎や角云はぬから、有無を云はずと引きあげた方がきれいだらうよ。」
 私は負けじと鳴り返しました。
 その時の有様などを詳さに述べたところで、結局私達が奴等に手とり脚どりされて、ぐるぐる回る水車の川下に放り込まれてしまつたゞけのことで、そんな自分の姿を偉がりやの私としては思ふだに自尊心に関はりますので止めますが、私達は命からがら向方岸へ泳ぎついたのでした。腕組をして「永遠の理想」を夢見るなんておろか、私達は岸辺に這ひあがつて再び地を踏むと同時に、住むべき小屋もなく食ふべき麦もないロビンソン・クルウソウと早変りしてしまつたのです。いや、無人島ではありませんから喰ふためには盗みを働くより他に生きよう道とてもない溝鼠と化して了つたわけでした。
 あの鬚男は私を目して風来坊だなどゝ空呆けましたが、私にしろあの男にしろずつと昔から互ひの名前も姿も好く知り合つてゐる者なのですが…

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