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変装綺譚
へんそうきたん
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第四巻」 筑摩書房
2002(平成14)年6月20日
初出「新潮 第二十七巻第十号」1930(昭和5)年10月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-01-28 / 2016-05-09
長さの目安約 26 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     一

 図書館を出て来たところであつた、たゞひとりの私は――。脚どりが、とてもふわ/\してゐるのを吾ながら、はつきりと感じてゐたが、頭の中に繰り拡げられて行く夢の境と今、其処に足が触れてゐる目の前の風景とが難なく調和してゐるので、面白気に平気で歩いてゐた。
 あわたゞしく目眩しい街であつた。真夏の日暮時であつた。濤のやうな――騒音が絶え間なく渦巻いてゐる賑やかな大きな四ツ角であつた。音響の一つ一つに注意すれば、自動車の警笛であり、電車の轍の音であり、建築場から響いて来るクレエンの響きであり、人の会話であり、レストランのオーケストラであり――と何も彼も立所に識別出来るのではあるが、別の想ひに耽つてゐる者の耳には、無限に轟々たる濤の響きのやうであつた。汽車の窓に頬杖を突いて、たつた今出発して来た都の賑やかな風景を、彼方の蕭条たる山の上に回想してゐる時に聞く列車の轍の音の適応性にも似た、円やかな音響が巷に溢れてゐた。轍の音や、深夜に聴く時計の音に伴れて、何でも関はず歌つたり饒舌つたりしてゐると、あの音響のリズムは忽ち歌になり、言葉になり、話相手になりして自由であることを私は屡々経験するが、この巷の混然たる絶間なき響きも、憂への日には吾を憂へ、悦びの日には躍動を、勝手気儘に節づけることは自由であらう――など、私は、さもさも六ヶ敷いことでも考へてゐるかのやうな勿体振つた胸で呟きながら、何といふこともなしに、自信あり気な思ひに打たれてゐた。
 私は車道の片端にある瓦斯灯の柱に凭りかかつて、腕を組み、ぼんやりと眼をかすめて、美しい洪水のやうな往来の有様を熱心に眺めてゐた。――一日の務めを終へて、いそいそと帰路を急いで行く人達、夕食後の散歩に手を携へて出かけて来た恋人同志、酒場へ行かう、酒場へ行かう! と先を急いで行く若者達、いや俺はダンス・ホールへ行くのだ――と振り切つて行く者。
「酷い目に合つたよ。彼奴が、そんな悪人とは気付かなかつた。」
「悲しみを知つてゐる悪人であるところが、惨めだな。」
 ちよつと耳を澄すと、耳の傍らを寄切つて行く人々の切れ切れの言葉が、はつきり解るのである。
「憐れな男だ。一体彼奴は何に憧れてゐるんだらう。」
「虚妄と現実の境界線を見失つてまるで化物のやうな歩き振りをしてゐるぢやないか。」
 聞くまい――と思ふと直ぐに消えてしまふ、面白いやうだ! 私は、作曲家のやうに空を見あげてゐる。見る見るうちに黄昏の帷が深々と降りて行き、彼方の高楼の屋上、此方の店先の軒先に、青、赤、黄の万花灯の光りが一斉に瞬きはじめてゐた。窓々の拡声ラッパは花やかな夜の開幕を告げる狂燥曲を放送しはじめてゐた。濤の音が忽ち圧倒されてしまふ。
万有の精は吾が心のうちにあり
天地を流れ、吾が心を流れて
おお、この止め度なさ
君を抱きて吾狂せん――
 街の音楽は十五世紀の…

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