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ゾイラス
ゾイラス
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第四巻」 筑摩書房
2002(平成14)年6月20日
初出「文藝春秋 第十巻第十号」文藝春秋社、1932(昭和7)年9月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-02-17 / 2016-05-09
長さの目安約 26 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 海の遠鳴りをきゝながら私は、手風琴を弾いてゐた。そのダクテイルが、ひらひらと潮の音に逆つて低く高く青白い虚空を衝いて飛んで行くと、私の魂も夢も片々たる白い蝶々と化して、波を乗り越え、宙に翻つて、無何有の沖へ沖へと雪崩れを打つて消えて行つた。
 私は、脚を卓子の上に重ねて、椅子の背に頭を載せかけたまゝ「海賊」の詩をうたつてゐた。
[#ここから横組み]
“…… …… ……
 Ours the wild life in tumult still to range
 From toil to rest, and joy in every change.”
[#ここで横組み終わり]

 部屋が舟となつて揺れてゐた。舟は、陸へ向つて打ち寄せる怒濤に逆つて帆を挙げてゐた。ぼろぼろの三角帆であつた。波頭に巻かれて、舟は宙に回転した。帆の、はためきの音が風を切つて雄叫びを挙げてゐた。
 私は、自然に対する反逆の言葉を索めつゞけて来た。実にも慌しく日夜が過ぎてゐた、実にも空虚な私の心象の前で――。
「入つても好いの、Ossian? 真つくらぢやないか、灯りをつけたら!」
 扉の外で女房の声だつた。
「扉を開けて御覧よ。月あかりの明るさに驚くだらうよ。」
 私は、風琴を胸の上に載せて、眼をつむりながら答へた。
「Ossian! ――妾は嫌ひなんだよ、夜だといふのに灯りもついてゐない部屋に、二人の姿を見出すなんていふことは――。そんなぜいたくな夢は――」
 彼女の言葉は、口のうちに消えた。
 ランプは、油がきれてひとりで消えたのであつた。
「ぢや、妾が納屋へ行つて貰つて来るわ、容器を出してお呉れ。」
 その時、私は強ひて灯りを欲しいとは思はなかつたのだが、あんな遠くまで! と気づいたので、慌てゝ、
「欲しければ自分で行つて来るが……」
 と、未だしゆんじゆんしてゐた。漁屋の納屋であつた。麦畑の岡の裾を崖ふちに添つて、三つも迂回して、岬の中腹まで辿らなければならぬ道程だつた。
「Ossian!」
 と叫んで、彼女は靴の先で扉を力一杯に蹴つた。私は、ぎよつとして椅子から跳びあがつた。私は、書物やら、ネクタイやら、ジヤケツやら――枚挙のいとまはありはしない、何とまあ埃を浴びた数々のがらくたが無暗と散乱してゐる暗くて狭い部屋であることよ!
「憤らないで待つてお呉れよ――今、窓を開けて、直ぐに油の鑵を見つけ出すから、そして独りで行つて来るよ。水車小屋の牡馬は、もう厩に入つたか何うか、ほんとうに済まないが見て来てお呉れよ。」
 私は、サアベルを踏んで飛びあがつたり、真鍮のラツパに躓いてよろめいたりしながら、陰気な窓掛を払ひ除けた。そして、射し込んだ月の光で、寝台の下に転げ込んでゐる油壺を四つん這ひになつて辛うじて探し出した。
 街道に降りて見ると、米俵や枯草を積むための二輪車をつけたドリアン…

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