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七月七日
しちがつなのか
作品ID45684
著者蒲原 有明
文字遣い旧字旧仮名
底本 「明治文學全集 99 明治文學囘顧録集(二)」 筑摩書房
1980(昭和55)年8月20日
初出「早稻田文學」1910(明治43)年8月
入力者広橋はやみ
校正者岡村和彦
公開 / 更新2016-03-15 / 2015-12-24
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 朝から蒸暑かつた。とろんとした乳白の雲が低く淀んでゐて、空氣がじとじとして、生汗をかいてゐるやうな日である。
 少し頭をぼつとさせて、外出先から家に歸りつくと間もなく、有島壬生馬さんの令弟のY君が見えた。これから一緒に「滯歐記念展覽會」を見にゆかないかと云ふことである。この畫の會は、南薫造さんと有島さんとが長い期間の外遊中に制作してためておいた畫幀を、歸朝後はじめて一般に公開して鑑賞させようといふ趣意で、白樺社が主催者に立つてゐるのである。わたくしはY君と二言三言談つてゐるうちに、氣分は稍爽やかになつてきたが、それでもまだいくらか頭が麻痺してゐる。
 わたくしはこの程招かれて有島さんの畫室を訪ふたときのことを、ぼんやりと憶ひだしてゐる。有島さんは十數枚のカンバスを代る代る壁に立てかけながら、藝術の愛に充ちた眼をかがやかして、歐羅巴のなつかしい遊歴と研究とについて短い説明を添へられた。最後に全體の批評を乞はれたときに、わたくしは一寸ためらつた。
「それでは風景と人物とのうちで、どつちを好いと思ひますか」
「それは無論人物の方がおもしろいのです」
 わたくしは簡單に、かう答へたと思つてゐる。わたくしの藝術的經驗がこゝにまた新しい感動を加へたことは爭はれない。幅の廣い、氣力のある描法がどの畫にも見られる。奔放である。若々しい野性美がある。わたくしはその時さういふやうな印象を受けてゐた。それを今埒もなく想起してゐると、Y君は懷中から小册子を取出して、前に置いて、
「こんなものが出來ました」と云ふ。
「これはシスレエの型を取つて拵へたのです。カツトもそのまゝ使つて見ました。まあこんなものでも、一枚刷の出品目録よりはよいでせう」
 その目録には、南さんの方に高村君の序記が添へてあり、有島さんの方に志賀君の紹介が載つてゐる。それが先づ親密なゆかしい匂ひをただよはしてゐる。わたくしはY君と連れだつて上野に行く途すがら、電車の中でこのカタログを繰りひろげて、高村、志賀兩君の文章を讀んでみた。そしてその文章と畫題とを照し合せてみただけでも、ほぼ南さんと有島さんとの對比性が豫想される。

 上野の森は水蒸氣に飽滿した灰藍色の靄に掩はれてゐて、柔かく黄色を帶びた光線が暗く陰氣になつた櫻の葉を燻してゐた。
 會場に入ると、近代佛蘭西の名畫の寫眞がぽつりぽつりと懸つてゐる。程よく調子の變化を見せて、入場者の藝術心と反響し合はせる工風が凝らしてある。マネがある。我々は近代生活の混雜の中から藝術を見いだしたこの畫家の直感力に對して無限の尊崇をさゝげる。ゴオガンがある。有島さんが佛蘭西から島崎藤村さんに贈つて來た「タイチの女」の複寫版はわたくしが今預つてゐる。實をいへば、この畫はわたくしの好奇心をそゝるものがあるに拘らず、一見少し手剛かつた。その中から裝飾的な點のみを檢出して愉快に思つてゐ…

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