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銭湯
せんとう
作品ID4594
著者泉 鏡花 / 泉 鏡太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鏡花全集 巻二十七」 岩波書店
1942(昭和17)年10月20日
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2011-09-20 / 2014-09-16
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 それ熱ければ梅、ぬるければ竹、客を松の湯の揚場に、奧方はお定りの廂髮。大島擬ひのお羽織で、旦那が藻脱の籠の傍に、小兒の衣服の紅い裏を、膝を飜して控へて居る。
 髯の旦那は、眉の薄い、頬の脹れた、唇の厚い、目色の嚴い猛者構。出尻で、ぶく/\肥つた四十ばかり。手足をぴち/\と撥ねる、二歳ぐらゐの男の兒を、筋鐵の入つた左の腕に、脇へ挾んで、やんはりと抱いた處は、挺身倒に淵を探つて鰌を生捉つた體と見える。
「おう、おう。」
 などと、猫撫聲で、仰向けにした小兒の括頤へ、動りをくれて搖上げながら、湯船の前へ、ト腰を拔いた體に、べつたりと踞んだものなり。
「熱い、熱い、熱いな。」
 と手拭を濡しては、髯に雫で、びた/\と小兒の胸を浸してござる。
「早う入れとくれやせな。風邪エひきすえ。」
 と揚場から奧方が聲を懸ける。一寸斷つて置くが、此の方は裸體でない。衣紋正しくと云つた風で、朝からの厚化粧、威儀備はつたものである。たとひ紋着で袴を穿いても、これが反對で、女湯の揚場に、待つ方が旦と成ると、時節柄、早速其の筋から御沙汰があるが、男湯へ女の出入は、三馬以來大目に見てある。
「番頭にうめさせとるが、なか/\ぬるならん。」
 と父樣も寒いから、湯を浸した手拭で、額を擦つて、其の手を肩へまはして、ぐしや/\と背中を敲きながら、胴震に及んで、件の出尻の据らぬ處は、落武者が、野武士に剥がれた上、事の難儀は、矢玉の音に顛倒して、御臺御流産の體とも見える。
「ちやつとおうめやせな、貴下、水船から汲むが可うすえ。」
 と奧方衣紋を合せて、序に下襦袢の白い襟と云ふ處を厭味に出して、咽喉元で一つ扱いたものなり。
「然ぢや、然ぢや、はあ然ぢや。はあ然ぢや。」と、馬鹿囃子に浮れたやうに、よいとこまかして、によいと突立ち、腕に抱いた小兒の胸へ、最一つ頤を壓へに置くと、勢必然として、取つたりと云ふ仕切腰。
 さて通口に組違へて、角のない千兩箱を積重ねた留桶を、片手掴みで、水船から掬出しては、つかり加減な處を狙つて十杯ばかり立續けにざぶ/\と打ちまける。
 猶以て念の爲に、別に、留桶に七八杯、凡そ湯船の高さまで、凍るやうな水道の水を滿々と湛へたのを、舷へ積重ねた。これは奧方が注意以外の智慧で、ざぶ/\と先づ掻[#挿絵]して、
「可からう、可からう、そりやざぶりとぢや。」と桶を倒にして、小兒の肩から我が背中へ引かぶせ、
「瀧の水、瀧の水。」と云ふ。
「貴下、湯瀧や。」
 と奧方も、然も快ささうに浮かれて言ふ。
「うゝ、湯瀧、湯瀧、それ鯉の瀧昇りぢや、坊やは豪いぞ。そりやも一つ。」
 とざぶりと浴けるのが、突立つたまゝで四邊を構はぬ。こゝは英雄の心事料るべからずであるが、打まけられる湯の方では、何の斟酌もあるのでないから、倒に湯瀧三千丈で、流場一面の土砂降、板から、ばちや/\と溌が飛ぶ。
「あぶ、あぶ、…

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