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水色情緒
みずいろじょうちょ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鏡花全集 月報」 岩波書店
1986(昭和61)年12月3日
初出「鏡花全集 第十三卷月報」岩波書店、1941(昭和16)年6月
入力者門田裕志
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2006-12-11 / 2014-09-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 鏡花先生の御作を私が好きだつた理由は、魂を無何有の郷へ拔いていつて貰へることでした。私達が心に感じて行ふ事の出來ない萬事を、先生の作中の人物は、小氣味よくやつて退けてくれる――勿論、そこにはすべてを魅了しつくしてしまふ大きな力があるのは分りきつてゐますが――そこが私たちの先生でなければならない所でした。花川戸の助六も、幡隨院の長兵衞も、男だから私たち女には溜飮を下げてはくれない、そこへ行つて先生は親玉です、親玉でした。もうなくならうとする――日本女性の中で特殊な、別だん大した値打はないかもしれないが、かんしやく玉を投つたやうな、竹を割つたやうな、さら/\と流れて行くやうな水、秋の空を通る風のやうな、利欲のほかに恬淡としてゐた、ちとばかものかも知れない江戸女の魂を――ピチ/\生かして料つてくれた親玉です。
 もと/\江戸つ子――殘存した江戸つ子なるものは――男はあんまり難有くありません、青鬚で唐棧ぞつきなんて、苦味がありさうで、七五のせまい着付けから膝つ小僧はみださせてゐるのなんて、とてもたまらなく嫌ひなもの、ですが、女の氣持の底にこそ、なんだか大和魂といふものを俗にしたやうな所があると、まあ買ひかぶります。意地と張り――それを掴んで料理して下さつたのが鏡花先生です、土地に生れたものは當り前のことで氣がつかない、それをお前達こんなものを持つてゐると洗つて見せて下さつたものです。
 ですが、生地の者では、もうがまんがならないと、ガラ/\と微塵にぶちこはしてしまひさうなところで、凝と、うんと堪へるあの底力がちよつと羨しい、その持合せのないものを注入して下さつたので、殊更私たちには有がたいのでした。
 今の世に、私たちには許されない我儘、それを先生の作物はみんな許されてゐる、ゆるされてゐなければ戰つてゐる、誰も彼も女は實に勇敢だ、優しさうに見えて――みんな糸薄、糸萩、露のなでしこといひさうな風情に見えて、それでゐて心は實に強い、實にたまらなくそれが嬉しかつた、男性を向うへ[#挿絵]しての宣戰です。それこそ男なんぞは知らない優越を感じたので、誰でも鏡花宗になる時代は屹度一度はある筈です、なければよつぽど不思議な位、そんな女は夢を知らない、御飯とお金と慾情だけ――といふ風にもまあとれなくもないでせう。
 鏡花式とある人は一口にいふ、それは重に侠などこか、奴の小萬式の、たてひきの強い、ぐつとくる癪なのを糸切り齒で噛みころして、柳眉をすこしあげてポンと投出したやうな物言ひをする女人をさすが、先生の好いのはそんなことではありません。さういふと大層大まかな言ひ方になりますが、あのうつむいた、しをらしい、胸の所の帶上げの結び目を、そつと袖を合はしてかくして、美しいえりあしのこぼれ毛をふるはせてゐる、袖口のにほはしい、娘!娘! むすめといふ字がほんとにしつくりあつてゐる――紅梅の…

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