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柳原燁子(白蓮)
やなぎはらあきこ(びゃくれん)
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「新編 近代美人伝 (下)」 岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年12月16日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2007-09-23 / 2014-09-21
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

       一

 ものの真相はなかなか小さな虫の生活でさえ究められるものではない。人間と人間との交渉など、どうして満足にそのすべてを見尽せよう。到底及びもつかないことだ。
 微妙な心の動きは、わが心の姿さえ、動揺のしやすくて、信実は書きにくいのに、今日の問題の女史をどうして書けよう。ほんの、わたしが知っている彼女の一小部分を――それとて、日常傍らにある人の、片っぽの目が一分間見ていたよりも、知らなすぎるくらいなもので、毎朝彼女の目覚る軒端にとまる小雀のほうが、よっぽど起居を知っているともいえる。ただ、わたしの強味は、おなじ時代に、おなじ空気を呼吸しているということだけだ。
 火の国筑紫の女王白蓮と、誇らかな名をよばれ、いまは、府下中野の町の、細い小路のかたわらに、低い垣根と、粗雑な建具とをもった小屋に暮している[#挿絵]子さんの室は、日差しは晴やかな家だが、垣の菊は霜にいたんで。古くなったタオルの手拭が、日当りの縁に幾本か干してあるのが、妙にこの女人にそぐわない感じだ。
 面やせがして、一層美をそえた大きい眼、すんなりとした鼻、小さい口、鏝をあてた頭髪の毛が、やや細ったのもいたいたしい。金紗お召の一つ綿入れに、長じゅばんの袖は紫友禅のモスリン。五つ衣を剥ぎ、金冠をもぎとった、爵位も金権も何もない裸体になっても、離れぬ美と才と、彼女の持つものだけをもって、粛然としている。黒い一閑張の机の上には、新らしい聖書が置かれてある。仏の道に行き、哲学を求め、いままた聖書に探ねるものはなにか――やがて妙諦を得て、一切を公平に、偽りなく自叙伝に書かれたら、こんなものは入らなくなる小記だ。
 [#挿絵]子さんは、故伯爵前光卿を父とし、柳原二位のお局を伯母として生れた、現伯爵貴族院議員柳原義光氏の妹で、生母は柳橋の芸妓だということを、ずっと後に知った女だ。夜会ばやり、舞踏ばやりの鹿鳴館時代、明治十八年に生れた。晩年こそ謹厳いやしくもされなかった大御所古稀庵老人でさえ、ダンス熱に夢中になって、山県の槍踊りの名さえ残した時代、上流の俊髦前光卿は沐猴の冠したのは違う大宮人の、温雅優麗な貴公子を父として、昔ならば后がねともなり得る藤原氏の姫君に、歌人としての才能をもって生れてきた。
 実家だと思っていたほど、可愛がられて育った、養家親の家は、品川の漁師だった。その家でのびのびと育って年頃のあまり違わない兄や、姉のある実家に取られてから、漁師言葉のあらくれたのも愛敬に、愛されて、幸福に、華やいだ生涯の来るのを待っていたが、花ならばこれから咲こうとする十六の年に、暗い運命の一歩にふみだした。ういういしい花嫁君の行く道には、祝いの花がまかれないで、呪いの手が開げられていたのか、京都下加茂の北小路家へ迎えられるとほどもなく、男の子一人を産んで帰った。その十六の年の日記こそ、涙の綴りの書出し…

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