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幕末維新懐古談
ばくまついしんかいこだん
作品ID46203
副題24 堀田原へ引っ越した頃のはなし
24 ほったわらへひっこしたころのはなし
著者高村 光雲
文字遣い新字新仮名
底本 「幕末維新懐古談」 岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日
入力者網迫、土屋隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2006-10-04 / 2014-09-18
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は結婚後暫く親の家へ帰っていた。ちょうどそれを境にして彼の金谷おきせさんは穀屋の店を畳んで堀田原の家に世帯を引き取りました。
 この家は私が戸主で、養母が住んでいるけれども、それはほんの名義だけのことであるから、万事は師匠の意見、またお悦さんおきせさんなど姉妹の都合の好いままに任せ、私は自分の家なる前回度々申した彼の源空寺門前の親たちの家にいることになりました。
 もうこの頃では北清島町という町の名前など附いていた頃であった。

 師匠東雲師の住居は駒形にあったが、その時分蔵前の北元町四番地へ転宅することになった。
 この家は旧札差の作えた家で、間口が四間に二間半の袖蔵が付いており、奥行は十間、総二階という建物で、木口もよろしく立派な建物であったが、一時牛肉屋になっていたので随分甚く荒らしてあった。これが売り物に出たのを師匠が買い取ったのであるが、その頃の売り買いが四百円であったとはいかに家屋の値段が安かったかということが分ります。地面は浅草茅町の大隅という人のものであった。師匠の手に渡ると、造作を仕直し充分に手入れを致しましたが、これらの費用一切を精算して七百円で上がりました。当時江戸の仏師の店としてはなかなか立派なものでありました。

 私は毎日弁当をもって北清島町からこの蔵前の家へ通っておった。道程がかなりにあることで、雨や雪の降る時は草鞋穿きなどで通うこともある。朝は早く、夕方は手元の見えなくなるまで仕事をして、それからてくてく家に帰り、夜食を済まし、一服する間もなく又候夜なべに取り掛かるという始末であった。これというもとにかく仕事に精を出さないでは、一日の手間二十五銭では一家四人暮しの世帯を張っていては、よし父には父の取り前もあるとはいっても、老人の事で私の心がどうも不安であるから、決まっている手間の上に夜業をして余分にいくばくかを働いたようなわけであって、ほとんど二六時中、仕事のことに没頭していることであり、また朝夕の行き帰りの道もなかなか遠くもある処から随分とそれは骨が折れました。そうして小一年もこういう状態が続いて明治九年も暮れてしまいましたが、その年か翌年であったか、私たち一家が全部堀田原の家へ転宅することになりました。
 これは金谷のおきせさんが一旦世帯を堀田原へ移して一人でいましたが、まだそうお婆さんになったというではなく、再縁のはなしが出て或る家へ嫁入りすることになったので、したがってお悦さんが一人になること故、この方は蔵前の師匠の方へ手伝いがてら一緒になるということになり、堀田原の家が明くによって、師匠は私に其家へ来てくれてはどうだという。私の方も堀田原へ移れば家もこれまでよりは手広になるし、通う道程も四分の一位になって都合もよいので、師匠の意のままに堀田原へ全部移転したのであった。
 私に取って思い出の多かった源空寺門前の家と…

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