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泥鰌
どじょう
作品ID46233
著者小熊 秀雄
文字遣い新字旧仮名
底本 「新版・小熊秀雄全集第一巻」 創樹社
1990(平成2)年11月15日
初出「旭川新聞」1927(昭和2)年8月25日~28日
入力者八巻美恵
校正者浜野智
公開 / 更新2006-04-08 / 2014-09-18
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

    (一)

 夏に入つてから、私の暮しを、たいへん憂鬱なものにしたのは、南瓜畑であつた。
 その葉は重く、次第に押寄せ、拡げられて、遂に私の家の玄関口にまで肉迫してきた、さながら青い葉の氾濫のやうに。
 春の頃、見掛は、よぼ/″\としてゐる老人夫婦が、ひとつ、ひとつ、南瓜の種を、飛歩きをしながら捨るやうにして播いてゐた。
 数年前まで、塵捨場であつたその辺は、見渡すほど広い空地になつてゐて、その黒い腐つた、土塊は肥料いらずであつた。
 セルロイドの玩具や、硫酸の入つてゐた大きな壺や、ゴム長靴や肺病患者の敷用ひてゐたであらうと思はれる、さうたいして傷んでもゐない、茶色の覆ひ布の藁布団などに、老人夫婦は十日間程も熱心に鍬をいれてゐた。
 鍬が塵埃の中の瀬戸物にふれると、それは爽かな響をたてた。
 老人達の仕事を、書斎でじつと無心に眺めてゐる、私の感情をその瀬戸物にふれる音は、殊に朗かなものにした。
 種ををろしてから、三月と経たないうちに、老人夫婦は、私の書斎からの、展望をまつたく、緑色の[#「緑色の」は底本では「縁色の」]葉で、さいぎり、奪つた。
 夏の地球は、暖房装置の上にあるかのやうであつた、老人の播いた南瓜の種も、みごとに緑色の葉をしげらし、この執拗な植物は、赤味がゝつた黄色の花をひらいた。
 その花を、たくましい腕のやうな蔓がひつ提て、あちこち気儘にはひ廻り、そして私達の住居を囲み、私達夫婦の『繊細な暮し』を脅かしはじめた。
 この南瓜畑に、取囲まれながら私達は、結婚後三年の夏を迎へた。

 妻は、シンガーミシンを踏むことが巧であつた、青丸には、いつもあたらしい布地に、美しい色糸でさま/″\な[#「さま/″\な」は底本では「さ/″\まな」]図案の胸飾をした、涎掛を、つくつてゐる。
 妻の愚鈍さに、二年程前からつく/″\愛憎を尽かしてゐるのであつたが、このミシンの巧さが、妻にとつては唯一の取柄といつたものであつた。
 ――ミシンを踏む彼女。
 その時こそ、何時よりもまして聡明な場合の彼女であつた。
 ――おい、自分の指を感心に、縫はないな。
 調子のよい響をたてゝ、ミシン台にゐる妻にかういふと、
 ――それほどに、馬鹿ぢやないわ
 とチラリと軽くふり返つた。
 だがこの聡明な仕事も、南瓜の花の真盛りのころから、ばつたりと止してしまつた。
 炎天が幾日も、幾日もつゞいたその後に、今度は雨が幾日も、幾日もつゞくのであつた。
 すると妻は、急に私にむかつて口小言をいひはじめた。
 ――ほころびがあつたら、早くいつて下すつたら、いゝぢやありませんか、出掛にばかりいはないでね。
 ――男が、どこが破れてゐるの、ほころびてゐるのと、いち/\注意してゐられないよ。そんな仕事が女の仕事ぢやないか。
 妻は私の手から、着物をひつたくつて、その布地を歪ませながら針を運…

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