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日記
にっき
副題10 一九二四年(大正十三年)
10 せんきゅうひゃくにじゅうよねん(たいしょうじゅうさんねん)
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第二十三巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年5月20日
入力者柴田卓治
校正者青空文庫(校正支援)
公開 / 更新2014-04-30 / 2014-09-16
長さの目安約 84 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

一月一日 火 晴
 朝寒く、午後暖か。林町の人々は二日に常盤館に出かけるので今日ぜひ会いたかった。けれども風邪がなおり切らないので、Aに電話をかけて貰って中止する。一日家居、「都会の憂鬱」をよんでしまう。
 つづいて、「我が一九二二年」も。自分が忘れて居る、或は知らない日本、支那――東洋の芸術的雰囲気の美を感じらせられる。野上彌生氏からは忍耐や根気づよさをおそわり、佐藤春夫からは本当の芸術家の心はどうあるかと云うことを知らされ、自分の父に似すぎた性格の重しとなる。鷹野つぎ氏新聞で彌生氏の芸術は、classical すぎ、何の交感も自分に与えず。と批評して居る。一面の真理はある。自分が彼女との交誼の間に自ら警して居ることもその点だ。ヤエ子さんは段々、古典的形式美――精神がきっぱり簡明な手法に納められたもの――を愛す傾向になって居る。光太郎氏訳『ヴェルハーラン詩集』大正十年の訳で、やや生硬のうらみあり、然し美しい。さいと裏で羽根をつき乍ら、日本のうららかな正月は薄水色。そこに、葉のない梅やけやきの美しい枝が、金糸でぬいとったような風景。(西日に照って)と感じる。又卓子の上にあるアスパラガスを横から見ると、優しい繊細な緑のつみ重りの間に、小規範の南方的圧力があり面白いと思った。
(この日記は、紙がよくて書きよいが、小さくて困る。又大きすぎたら、こんなにこまごまと書く丹念さを失うかもしれないが。)
『文芸春秋』、なかなか面白し。茶目ども! 佐佐木茂索のおしゃべり(短、小)は器用なものだ。少し wit がはばをきかせすぎるけれども。
(彌生さんのことを考える。私は彼女に対して、種々の批評をもって居るが、彼女が寛大に私を後進と扱ってくれるところ、彼女が私よりずっとよいところを持つと、思い、恥しいことがある。)
 後進は、自己の道を見出す為に反抗的なのか。

一月三日 木
 今年の正月は、兄が来(Aの)て居。家中は賑やかだ。けれども自分の心持は、まるで独りぼっちだ。――去年の秋頃から、Aにすっかり自分の心持を云い、理解して貰う気も失ったので、彼等とは、只笑い、喋り、平凡な人間的交通を持つだけ。従って、――或は逆に私の芸術に食い込みかたが又深くなった――。
 この頃、坪内先生に対する私の心持は苦しいものだ。私は先生の人となりにもいやなところを感じるし芸術にも感服出来ない。而も私の一身上深い関係を持って居る以上、年末とか年始とか日本の習慣の折り目になると、何か一種の義務を感じるのだ。
 自分と先生とのいきさつ、寧ろ、私の先生に対するやや神経質な、然し先生の誠意と自分の受けたものの価値に対する自覚の心持には、書けるものがある。
 私のわずらいになって居るのは、父の遺伝の常識的社交性だ。社会と自分と云うものの対立が画然として居ない。而して、内面に全然ダ協し切れないものがあるので、…

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