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武田麟太郎追悼
たけだりんたろうついとう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「定本織田作之助全集 第八巻」 文泉堂出版
1976(昭和51)年4月25日
初出「文芸新風」1946(昭和21)年4月
入力者桃沢まり
校正者小林繁雄
公開 / 更新2007-06-10 / 2014-09-21
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 武田さんは大阪の出身という点で、私の先輩であるが、更に京都の第三高等学校出身という点でもまた私の先輩である。しかも、武田さんは庶民作家として市井事物一点張りに書いて来た。その点でも私は血縁を感じている。してみれば、文壇でもっとも私に近しい人といえば、武田さんを措いて外にない。いわば私の兄貴分の作家である。そしてまた、武田さんは私の「夫婦善哉」という小説を、文芸推薦の選衡委員会で極力推薦してくれたことは、速記に明らかである。当時東京朝日新聞でも「唯一の大正生れの作家が現れた」という風に私のことを書いてくれた。「夫婦善哉」を小山書店から出さないかというような手紙もくれた。思えば、私の恩人である。
 私にもっとも近しい、そして恩人である作家を、突如として失ってしまった、私はもう言うべきことを知らない。私としても非常に残念で痛惜やる方ないが、文壇としても残念であろう。しかし最も残念なのは、武田さんの無二の親友である藤沢さんであろう。新聞で武田さんの死を知った時、私は一番先きに想い出したのは藤沢さんのことであった。私は藤沢さんを訪ねるとか、手紙を出すかして、共に悲哀を分とうと思ったが、仕事にさまたげられたのと、極度の疲労状態のため、果せなかった。莫迦みたいに一人蒲団にもぐり込んで、ぼんやり武田さんのことを考えていた。特徴のある武田さんの笑い声を耳の奥で聴いていた、少し斜視がかったぎょろりとした武田さんの眼を、胸に泛べていた。
 最も残念だったのは藤沢さんであろうと、書いたが、しかし、それよりも残念だったのは当の武田さん自身であったろう。死に切れなかったろうと思う。不死身の麟太郎といわれていた。武田さんもそれを自信していた。まさか死ぬとは思わなかったであろう。死の直前、あッしまった、こんな筈ではなかったと、われながら不思議であったろう。わけがわからなかったであろう。観念の眼を閉じて、安らかに大往生を遂げたとは思えない。思いたくない。あの面魂だ。剥いでも剥いでも、たやすく芯を見せない玉葱のような強靱さを持っていた人だ。ころっと死んだのだ。嘘のように死んだのだ。武田さんはよくデマを飛ばして喜んでいた。南方に行った頃、武田麟太郎が鰐に食われて死んだという噂がひろがった。私は本当にしなかった。武田麟太郎が鰐を食ったのなら判るが、鰐に食われるようなそんな武麟さんかねと笑った。たぶん武田さんが自分でそんなデマを飛ばし、それが大阪まで伝わって来たのではないかと思った。だからこんどの急死も武田さんが飛ばしたデマじゃないかと、ふと思ってみたりする。
 死因は黄疸だったときく。黄疸は戦争病の一つだということだ。新大阪新聞に連載されていた「ひとで」は武田さんの絶筆になってしまったが、この小説をよむと、麹町の家を焼いてからの武田さんの苦労が痛々しく判るのだ。不逞不逞しいが、泣き味噌の武田さん…

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