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幕末維新懐古談
ばくまついしんかいこだん
作品ID46396
副題28 東雲師逝去のこと
28 とううんしせいきょのこと
著者高村 光雲
文字遣い新字新仮名
底本 「幕末維新懐古談」 岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日
入力者網迫、土屋隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2006-10-07 / 2014-09-18
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 それからまたこういう特別な注文のほかに、他の仕事もぽつぽつあります。それらを繰り返して仏の方をも相更らずやっている。明治十一年も終り、十二年となり、これといって取り立ててはなしもないが、絶えず勉強はしておりました。
 すると、十二年の夏中から師匠は脚気に罹りました。さして大したことはないが、どうも捗々しくないので一同は心配をいたしました。余談にわたりますが、師匠東雲師は、まことに道具が好きで、仏の方のことは無論であるが骨董的な器物は何によらず鑑識に富んでおりました。それで東京中の道具屋あさりなどすることが何より好きで、暇さえあれば外へ出て、てくてく歩いていられる。歩くことが激しいから、下駄は後の方が直ぐ減ってしまうので、師匠は工夫をして下駄の後歯へ引き窓の戸の鉄車を仕掛けて、それを穿いて歩かれたものです。知人の処になど行って庭の飛び石を歩く時にはガラガラ変な音がするには甚だ困るなど随分この下駄では滑稽なはなしがある位、それほど外出歩きを好かれた方であったが、脚気に罹られてからは、それも出来ず、始終、臥床に就くではないが、無聊そうにぶらぶらしておられました。しかし、店の仕事の方には私の兄弟子政吉もいること故、手が欠けるということはなく、従前通りやっておりました。
 しかるに一夏を越して秋に這入っても、病気は段々と悪くなるばかり、一同の心配は一方ならぬわけでありました。それに華客場の中でも、師匠の家の内輪へまで這入っていろいろ師匠のためを思ってくれられた特別の華客先もありました中に、別して亀岡甚造氏の如きは非常に師匠のことをひいきにされた方でありましたが、この方が大変に心配をして、何んとか、もう一度癒してやりたいといっておられます。
 この亀岡甚造という方は、その頃もはや年輩も六十以上の人で、当時は御用たしのようなことをしておられた有福な人でありました。若い時、彼のペルリの渡来時分、お台場の工事を引き受け、産を造ったのだそうで、この亀岡氏は先代の目がねによって亀岡家へ養子になったなかなか立派な人でありました。師匠とは気心も大変合っていて、内輪のことなどまで心配をされました。また同氏は私にもなかなかよくしてくれました。で、亀岡氏はじめ、我々、皆一同師匠の病気平癒を神仏かけて祈りましたが、どうも重くなるばかりであります。医師に見せてもなかなか捗々しく参らず、そこで、私は先年傷寒を病んだ時に掛かった柳橋の古川という医師が、漢法医であるけれども名医であると信じていましたから、師匠の妻君へ、この人に診てもらうよう話をしました。妻君も、それではと古川医師に診察を頼みますと、どうも、これは容易でない。脚気とはいっても、非常に質が悪い。気を附けねばならんという診断。医者の紋切形とは思われぬ。重大な容態は我々素人にもそう思われるようになったのであります。
 それで、弟子は四人あ…

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