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八月の星座
はちがつのせいざ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻42 家族」 作品社
1994(平成6)年8月25日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2007-01-01 / 2014-09-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 白い雲が岫を出る。白い国道が青田の中を一直線に南に走る。八月の太陽は耕作地を焦きつくすまでに燃えてゐる。幌馬車が倦怠い埃を立てゝ走る。父は葡萄畑に立つては幾度か馬車の喇叭に耳をそばだてる。東京の学校から帰る長男、県の中学から帰る次男と……田園の父にとつて八月は楽しい待望の季節である。
 わたしは故郷の父が、わたしの帰省を待ちあぐんで母や妹たちに隠れては、日に幾度となく停車場に出かけて行つたといふ話を思ひ出す。
 夏の白雲がわく時、葦の間の行々子が鳴く時わたしの故郷の父の墓を思ふ。母の墓を懐ふ。
 八月の故郷は一家団欒の世界である。普段は学校に囚へられてゐる子供たちも解放されて故郷の旧巣に還つて来る。親と子と兄弟が十年前二十年前のなつかしい家庭の空気をとりもどす。
 父も老いた、母も老いた。だが子供たちのすく/\と伸びた健かな赤裸々な肉体を見出す時、父も母も新婚時代にもました明るい光明を見出す。子供等は海に飛び込み、川原に這ひ、葡萄畑にうたふ。人生至楽の季節である。
 たゞ一鉢の朝顔が縁側に置かれてある。
 父も寄り、母も寄り、子供等も集ひ来つて一輪の朝顔を眺むる。学校のない子供たちは時間から解放され、宿題から解放され、けさはじめて子供本然の素直さを取りもどして一鉢の朝顔を観ることができるのだ。
 南山の小径には木槿も咲いてゐる。菊はまだ早いが、芒の穂はすでに静秋の気をほのめかす。父の後からは牧場の仔馬を想はせるほどにぞろ/\と子供たちが走る。子供たちは今こそ教室の窒息しさうな空気からも、懶い課程からも解放されて、幸福な胸いつぱいに八月の朝の空気を呼吸しようとしてゐるのだ。
 父よ、母よ、玉蜀黍の葉はかゞやく。八月の子供たちの自由な、解放された魂のよろこびのやうに。

     *

 父よ母よ。弟が小川から釣つて来たたゞ一尾の鮠が洗面器の中に泳いでゐる。だが、兄も妹もぢつと一尾の小魚に全身の注意をこめてゐるではないか。何といふデリケートな鰭であらう。何といふ可憐な魚の呼吸であらう。見よその柄杓一杯の水の底に八月の青空が映つてゐるではないか。
 父よ母よ。人間の作つた学校の冷たい扉から解放された子供たちは、神によりて作られた素直さを取りもどしてゐるではないか。かれ等は洗面器の水の底に八月の蒼穹を見出してゐる。八月の白雲を見出してゐる。

     *

 父よ母よ。真夏の空高く、高灯籠をかゝげつゝうたふ子供たちにとつて、盂蘭盆はお祭にもましてなつかしいのだ。父と母ときやうだいたちが故郷の一つの家に集まつて、御先祖さまを思ふのだ。亡くなつた祖父、祖母を待つのだ。子供たちはお迎火を焚いて馴れぬ手に珠数をつまぐる。亡くなつた弟のことや、生まれたばかりで亡くなつた赤ん坊のことを思ひ出して可憐な涙を落す子もある。だが子供たちはすぐに悲しみからも解放される。子供たちにと…

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