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夏と魚
なつとさかな
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「集成 日本の釣り文学 第二巻 夢に釣る」 作品社
1995(平成7)年8月10日
入力者門田裕志
校正者岩澤秀紀
公開 / 更新2012-08-12 / 2014-09-16
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 夏の匂ひのする、夏の光りのある、夏の形体をもつてゐる魚――といつたら、すぐ鮎だ、鱚だ、鯛と鱸だ。夏ほど魚が魚らしく、清奇で、輝いて溌剌と[#「溌剌と」は底本では「溌刺と」]してゐる時はない。青い魚籠に蓼を添へる、笹を置く、葭を敷く、それで一幅の水墨画になる。夏になるとその生活の半分を魚釣りで暮す故か、私にとつて夏ほど魚を愛し、魚に親しむ時はない。極端にいふと暑い夏百日は魚になつて暮らしたいほどである。
 夏は気層が暑いと水温が低く涼しい、冬は気温が寒いと水層が温い、造化のエネルギーの配電は巧みに出来てゐる。そんな時に払暁よく私達は鮎を嗅ぐ、未明の靄の中で渓流のほとりを行くと、実際に香魚といふだけあつて鮎は匂ふ、川の中から匂ふ、水面に跳ね始めたら誰にでも匂ふが、水中に群をなしてゐる時は、その川瀬の淵で匂ふ。ゐるなと思つてその雨のやうな、蓼のやうな、うすい樹の蜜のやうな匂ひを嗅ぐと、実際に釣心がぷるると慄へる。今年はまだ試みないが、鮎釣りの愉しみは、先づこの最初の匂ひから始まるといつてよい。山の翠りもよいし、渓流のせせらぎ、朝の青嵐もよいが、感覚的に愉しいのは、この鮎の匂ひを川から嗅ぐ時だ。
 夫れにどんな魚でも釣つて終つてからは、案外つまらないものであるが、あたりがあつて、ツツとあはして、ぐぐ、つつ、ぐいと持ち込まれ、それをためつこらへつ、ぢつと争ひ乍ら、銀鱗を飛沫の中からぬく時、その瞬間ほど魚が美しく、尊く、あらゆる全機能をもつて活躍してゐる時はない。どんな魚でも七彩の虹をもつ、金銀の閃光をもつ、そして水の青冥を截つて、初めて明るい気層へ跳ね出すのであるから、魚が驚いて、怒つて、反抗して、鰭をひらき、腮をふくらし出来るだけ跳躍を試る。それが愉しみで釣りといふものがやめられないのである。
 鮎はその王者である。形から匂ひから味覚から川の女王と謂はれてゐる。今年も予報通り行けばよいが、もうかなり遠出をしないと面白い現象にぶつからない。先づ東京府よりも静岡県から岐阜県である。鮎を五十年釣つてゐるといふ人でさへ、まだ鮎の深奥の習性は解らないといつてゐるから、むづかしいことも亦釣りの王者である。そこで成可く処女地らしい処を狙つて出掛ける。鉤づれのしてゐない鮎といふものは、全く渓谷の処女で、新らしい、荒い、美しいものである。それを一厘柄と謂はれる透明な細テグスで引き争ふのであるから、切られたり、引こまれたり、竿先を弓なりにして、手許まで引寄せ、玉網を入れて、手に握るまで、その触覚といふものが釣りの神会である。
 然し鮎はどうしても金がかかるから、暇を惜む時は海の鱚で我慢をする。鱚は海の鮎、浅瀬の三日月だと謂はれてゐる。白鱚は藤色の白銀、青鱚は緑光の白銀色をもつてゐる。海の浅瀬は金砂の極光だ。その中からひらひらとこの小さい三日月をぬくのであるから、江戸人は好んで鱚…

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