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一種の攘夷思想
いっしゅのじょういしそう
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」 筑摩書房
1969(昭和44)年6月5日
初出「平和 三號」平和社(日本平和會)、1892(明治25)年6月15日
入力者kamille
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2008-02-13 / 2014-09-21
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 三千年を流るゝ長江漫※[#「さんずい+(くさかんむり/奔)」、83-上-3]たり、其始めは神委にして、極めて自然なる悖生にゆだねたり、仲頃、唐宋の学芸を誘引し、印度の幽玄なる哲学的宗教に化育せられたりと雖、凡ての羣流、凡ての涓※[#「さんずい+會」、83-上-5]を合せて、長江は依然として長江なり。満土を肥沃し、生霊を育成し、以て今日に至らしむ、この長江、豈に維新の革命によりて埋了し去ることあらんや。
 われは心酔せる欧化思想を抱けるものにあらず、我国固有の思想なる三千年来の長江は、我軽舸を載せて奔らしむるに宜しきを知るは、世に所謂国粋論者なる者に譲るところなきを信ず、然るも彼の舶載せるものと云へばいかなる者をも排斥し尽さんと計るものには、同情を呈する事能はず、況んや、気宇甕の如く窄き攘夷思想の一流と感を共にする事、余輩の断じて為すこと能はざるところなり。
 余輩は綿々たる我皇統を歴史上に於て倨負するの念なきにあらず、然れども滔々たる世界の共和思想の逆流に立つて、どこまでも旧来の面目を新にする勿らん事を、熱望するものにはあらず、要するに世界の進歩の巨渦に遡つて吾運命を形くる事は、人力の為す可からざるところなるが故に、吾人は思想上に於て苟くも世界の大勢に駆らるゝ事ある時には、甘んじて其流勢に随はんと欲するものなり。
 吾人は我邦の公共事業の舞台に立つて役者たる者が、少しく気局を濶大にせん事を願うて止まざるなり、之を政治家に例すれば、県治の政事海にあるものは論争常に県治の中に跼蹐し、之れを全国の政事海に徴すれば、奔馬常に狭少なる民吏の競塲に惴々たるに過ぎざるなり。
 高言壮語を以て一世を籠絡するを、男児の事業と心得るものは多し、静思黙考して人間の霊職を崇うせんと企つる者は、いづくにある。東西両大分割の未来の勝敗を算して、おもむろに邦家の為に熱血を灑ぐものいづくにある。杳遠なる理想境を観念して、危淵に臨める群盲の衆生を憂[#挿絵]する者、いづくにある。
 自然の趨勢は逆ふこと能はず、吾は彼の一種の攘夷論者と共に言を大にし語を壮にして、東洋の危機を隠蔽せんとするにあらず、もし詳かに吾が宗教、吾が政治、吾が思想、吾が学術を究察する時は、遺憾ながらも、吾は優勝劣敗の舞台に立つて遜色なき事能はず、未来に於て我豊葦原の民族の消長いかんは、今之を断ずることを得ざれども、此儘にして推し行かば、遂に自然の結局を奈何ともすべきなからむか。
 つら/\思ふに、寂滅為楽の幽妙なる仏味と宗教的虚無思想が吾人の中に存して、吾人の生霊を支配せし事久し、貴族的思想の族長制度と印度教との父母より生れて、堅く其地歩を占め、以て平民的共和思想の発達を妨げ居たる事も既に久し、空漠たる大空を理想とする想像に富める哲学者は多けれど、最後の円満なる大理想境に思ひを馳する者はあらず、何事も消極的に退縮して、…

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