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トルストイ伯
とるすといはく
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」 筑摩書房
1969(昭和44)年6月5日
初出「平和 二號」平和社(日本平和會)、1892(明治25)年5月18日
入力者kamille
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2008-02-13 / 2014-09-21
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

「聖くまことなる心、無極の意と相繋がる意、世の雑染を離れて神に達するの眼、是等の三要素を兼有する詩人文客の詞句を聴くは楽しむ可きかな。」
 とは英人某がトルストイ伯を崇めたる賛辞なり。露国が思想の発達に於て欧洲諸隣国に後れたる事、既に久し。其記者が仏独の旧形を摸倣するに甘んじて、創造の偉功を顕はさゞる事も、亦た已に久しと云ふべし。然れども形勢俄かに一変し、自国の胸底より文学の新気運湧き出でゝ、今や其勢力充実して殆ど全欧を凌駕せんとするに至れり。而して斯る気運を喚起せしめたるもの種々あるべしと雖、トルストイ伯の出現こそ、露文学の為に万丈の光焔を放つものなれ。彼は露国の平民的生活を描く作家なり、彼は明らかに吾人に向つて、露国には中等民族あらず、貴族と平民のみなることを示すなり。

     露国の農民

 は、徒らに西部文明の幻影を追随して栄華を春日の永きに傲る貴族者流と、相離るゝ事甚だ遠し。彼等は聖書を愛読し、宗教思想に富み、日常の業務に満足して、敢て虚栄の影を追はず、或時はむしろ迷信に陥り易く、宗教に伴へる在来の悪弊も亦少なからず。然れどもトルストイ伯は是等の卑野なる農民を愛する事、慾情に耽惑せる上流の人に比して、幾層の深きをあらはせり。げに露西亜の農民はあはれなる生活を送るもの多く、酸苦交もせまれども能く耐へ、能く忍ぶは、神の最後のまつりごとに希望を置くと見えたり。而してトルストイ伯の如きは自ら先達となりて、是等の農民を救ひつゝあるなり。其の旧作の中に言へることあり、曰く「怖れ惑ふ事なかれ、我等が苦痛は一時のものなり、我等が永遠の生命は何物と雖、奪ふ事能はざるべし」と。再び曰く「何事も神の聖意より出でざるはなし、死も生も」と。蓋し露国の農民の信仰を代表する者にして、死も自然の者なれば、刺多き者として悪まれはせで、極めて美くしき者とまで彼等の心には映るなり。「神は彼女を取り去れり、彼女が至るべきところは、彼女の如き美くしき心ある者ならねばかなふまじきによりてなり、彼女の死はいたむべきものならず」と言ふも、亦たこの平民的詩人なり。吾人はトルストイ伯によりて、露国の平民を知るを得つ、彼等が鞏固なる宗教上の観念を涵養しつゝあるを見て、露西亜の将来に望むところ多からざるを得ず。
 トルストイ伯は理想派詩人にはあらず、彼は理想を抱ける実際派なり、何となれば彼が写すところ、公平無私に農民の状態を描出し、其欠所を隠蔽することを為さゞればなり。もし彼が貴族の家に生れ、顕栄の位地に立つべき身を以て、農民を愛撫し、誠信を以て世に屹立するに至りたる来歴を問はゞ、

     彼は長く生命を疑ひしなり。

 彼が出生を尋ぬれば、千八百二十八年のことなりしとぞ。貴族の栄華は、彼をして虚しき世のものをあさりめぐるの外に楽しみとてはあらずと、思はしめにき。爵位の如き、娯楽の如き、学芸文事…

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