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チチアンの死
チチアンのし
著者
翻訳者木下 杢太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「書物の王国13 芸術家」 国書刊行会
1998(平成10)年10月25日
入力者川山隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2007-09-12 / 2014-09-21
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 人

序曲を唄う者
フィリポ・ポンポオニオ・ヴェチェリオ。別称チチアネルロ(大匠の息)
ジョコンド
デジデリオ
ジヤニイノ(この人十六歳の青年、甚だ美し。)
バチスタ
アントオニオ
パリス
ラヴィニア(大匠の一女)
カッサンドラ
リザ

 時は千五百七十六年のこと。この年チチアンは九十九歳の高齢をもて歿せるなり。

ゴブランの幕下りている。プロセニウムにはボエックリンの半身像円柱の上に立つ。その基底には草花と花の小枝とを盛ったる籠。
シンフォニイの最後の拍子に連れて、序曲を唱う者登場する。そのうしろに炬火を秉る小厮たち。
序曲を唱う者は一人の青年である。ヴェネチア風の装束、而も黒の喪服。
序曲を唄う者 では音楽はおやめ下さい。これからわたくしの舞台です。わたくしには已むに已まれぬ訴えが胸にあるのです。この若い時代から一味の滋液が流れてわたくしの心に入ります。そして斯人、今わたくしを瞻っているこの立像の主は、嘗て、わたくしのこの上もない心の友だったのです。陰惨事繁き今の時代には、その情はまた是非わたくしに必要なものであったのです。かの水精の水したたる白い御手に滋味を吸う鵠の鳥、水に浮くこの聖鳥の如くに、わたくしも亦暗い時の間には、斯人の手にうち伏し、うち縋り、わが心の糧――深き夢をば求めました。ああ、わたくしにはあなたの像を、唯木の葉、花の枝で飾ることしか出来ないのですか? あなたは、わたくしの為に世の相を飾り、凡ての花の枝の美しさをば限り知られぬ栄光に輝してくれたのですのに、わたくしは全く恍惚として地上に身を投げ伏し、耀しい自然、その衣の、わたくしに垂れかかるのに随喜したのです。友よ、お聴き下さい。わたくしは王者の崩御の時のように、使を遣わしてあなたの名を四風に叫ばしめようとするものではありません。王者はその嗣に名号を遺し、その陵墓にその名の響を止めます。――あなたはそれに反して、大魔術者だったのです。あなたの形骸は無くなりました。だがあなたの面影はなおもそこここに残ってはいないでしょうか。それ等は神秘な強い生命の力で、黒い目をして夜の潮から出て岸に上り――または毛深い耳を立てて、蔦にかくれて身を伸してはいないでしょうか。ですからわたくしは、何処に往っても、樹の有る処、花の有る処、乃至は黙々と口噤む石、空を曵く一抹の雲の有るところでは、決して自分がたった独りでいるのだとは思いはしないのです。つねに必ずかのアリエルの如く、玲瓏として澄明なる一物が軽くわたしの背を揺るのです。即ち知る、あなたと凡ての造物との間には、不思議な連鎖が繋っているのです。そうです。それで春の野原、御覧なさい、それはちょうど可憐な女の、夜、その身を任せる人に笑いかけるように、にっとあなたに笑いかけているではありませんか。
  ああ、わたくしはあなたに物を訴えようとしたのでした。それだのに…

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