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人生論ノート
じんせいろんノート
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「三木清全集第一巻」 岩波書店
1966(昭和41)年10月17日
初出「文学界」1938(昭和13)年6月~1941(昭和16)年10月、ただし「個性について」は「哲學研究」1920(大正9)年5月、「後記」は「人生論ノート」創元社、1941(昭和16)年8月、「旅について」は不詳
入力者石井彰文
校正者川山隆
公開 / 更新2008-02-18 / 2014-09-21
長さの目安約 144 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

死について

 近頃私は死といふものをそんなに恐しく思はなくなつた。年齡のせゐであらう。以前はあんなに死の恐怖について考へ、また書いた私ではあるが。
 思ひがけなく來る通信に黒枠のものが次第に多くなる年齡に私も達したのである。この數年の間に私は一度ならず近親の死に會つた。そして私はどんなに苦しんでゐる病人にも死の瞬間には平和が來ることを目撃した。墓に詣でても、昔のやうに陰慘な氣持になることがなくなり、墓場をフリードホーフ(平和の庭――但し語原學には關係がない)と呼ぶことが感覺的な實感をぴつたり言ひ表はしてゐることを思ふやうになつた。
 私はあまり病氣をしないのであるが、病床に横になつた時には、不思議に心の落着きを覺えるのである。病氣の場合のほか眞實に心の落着きを感じることができないといふのは、現代人の一つの顯著な特徴、すでに現代人に極めて特徴的な病氣の一つである。

 實際、今日の人間の多くはコンヴァレサンス(病氣の恢復)としてしか健康を感じることができないのではなからうか。これは青年の健康感とは違つてゐる。恢復期の健康感は自覺的であり、不安定である。健康といふのは元氣な若者においてのやうに自分が健康であることを自覺しない状態であるとすれば、これは健康といふこともできぬやうなものである。すでにルネサンスにはそのやうな健康がなかつた。ペトラルカなどが味はつたのは病氣恢復期の健康である。そこから生ずるリリシズムがルネサンス的人間を特徴附けてゐる。だから古典を復興しようとしたルネサンスは古典的であつたのではなく、むしろ浪漫的であつたのである。新しい古典主義はその時代において新たに興りつつあつた科學の精神によつてのみ可能であつた。ルネサンスの古典主義者はラファエロでなくてリオナルド・ダ・ヴィンチであつた。健康が恢復期の健康としてしか感じられないところに現代の根本的な抒情的、浪漫的性格がある。いまもし現代が新しいルネサンスであるとしたなら、そこから出てくる新しい古典主義の精神は如何なるものであらうか。

 愛する者、親しい者の死ぬることが多くなるに從つて、死の恐怖は反對に薄らいでゆくやうに思はれる。生れてくる者よりも死んでいつた者に一層近く自分を感じるといふことは、年齡の影響に依るであらう。三十代の者は四十代の者よりも二十代の者に、しかし四十代に入つた者は三十代の者よりも五十代の者に、一層近く感じるであらう。四十歳をもつて初老とすることは東洋の智慧を示してゐる。それは單に身體の老衰を意味するのでなく、むしろ精神の老熟を意味してゐる。この年齡に達した者にとつては死は慰めとしてさへ感じられることが可能になる。死の恐怖はつねに病的に、誇張して語られてゐる、今も私の心を捉へて離さないパスカルにおいてさへも。眞實は死の平和であり、この感覺は老熟した精神の健康の徴表である。どんな…

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