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哲学はやさしくできないか
てつがくはやさしくできないか
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「三木清全集 第一巻」 岩波書店
1966(昭和41)年10月17日
初出「鉄塔」鐵塔書院、1932(昭和7)年7月
入力者石井彰文
校正者川山隆
公開 / 更新2008-02-12 / 2014-09-21
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 哲學がむつかしいといふことは、いはゆる定評である。なぜ哲學はむつかしいのか、哲學はもつとやさしくすることができないか、さういふ問に對して誌上でぜひ答をせよとの、『鐵塔』の編輯者からの再三の命令を受け、催促に會つて、何か自分の意見を述べねばならないことになつた。
 私など日頃そのやうなむつかしいものを書いて讀者を惱してゐる者の恐らくひとりであらうが、さういふ私どもは、私どもで、自分たちの立場からの言分がないわけではない。それを先づ云はせてもらはねばならぬ。哲學もひとつの學問である、學問である限り、哲學の場合でも、他の學問においてと同樣に、何の用意もなしにすぐさまわかる筈のものでない。わかるためにはそれに必要な準備がなくてはならぬ。哲學だけが怠け者に媚びねばならぬ理由はなからう。哲學も他の學問と少くとも同等の權利をもつて、それの理解されるために缺くべからざる學問的訓練が階梯的になされるやうに要求することができる。これは當然のことだが、云つておかれてよいことだと思ふ。他を非難する前に自分を省みるといふことは、單に道徳的な意味ばかりではないからである。
 それにしてもなほ哲學はむつかしくはないであらうか。そこにはまた逆に、こんどは哲學者自身が反省してみなければならぬ色々な問題があるのではないであらうか。
 單純なことであるけれど、「むつかしい」といふことと「わからない」といふこととは同じでない。例へば、高等數學はむつかしい、しかしわからないものではない、順序を踏んで研究すればわかる筈のものである。哲學にもそのやうな意味でのむつかしさがあるであらう、それ故に唯むつかしいとのみ云はないで、わかるやうにするために筋道を踏んで勉強しなければならぬ。然るに數學の場合には「わからない」ものの書かれることが殆どないに反し、哲學においては往々にして「わからない」ものが書かれることがあるやうである。さういふものは唯むつかしいのでなく、もともとわからないのである。わからないものが書かれてゐるために、哲學はむつかしいといふ評判を作つてゐることがないでもないやうである。哲學が「むつかしい」といふことは致方がないとしても、「わからない」ものが書かれるといふのは困つたことだ。わからないのは、實はそれを書いた當人にもよくわかつてゐないからだと云はれるであらう。好い數學者の書いた數學書がわかり易いやうに、好い哲學者の書いた哲學書はわかり易い。それだから、わからないことはわからないとして、自分にわかつたことだけを克明に書いてゆくといふことが大切であらう。さうすることによつて自分にも他人にも役立つものとなるのである。わからせるためには、ごまかさないといふことが必要である。わからせるためには、どこまでも論理的で、理論的で、方法的で、秩序的でなければならぬことは云ふまでもない。さうでないためにむつかしい…

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