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日本趣味映画
にほんしゅみえいが
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「溝口健二集成」 キネマ旬報社
1991(平成3)年9月1日
初出「キネマ旬報」1929(昭和4)年1月1日号
入力者鈴木厚司
校正者染川隆俊
公開 / 更新2011-02-23 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 今度私が泉鏡花氏の『日本橋』を映画化するに当つて、それが諸々方々から大分問題にされたものであつた。
『もんだいに』と云ふと、話しは大きくなるが、鳥渡した言葉のはしくれにも、
『どうだい君、溝口君が芸者物を撮るさうぢやないか。日頃の唯物論は何処へケシ飛んで仕舞つたんだ!』
『いや、あの人間は、以前からあゝ云つた下町情話ものが得意なんだ。だから、つまりは昔にかへつたわけなんだ。』
 と、噂し合ふ有様である。
 だが、それは両方とも私にとつて、擽つたい、むしろ迷惑な話しで、なまじい、色眼鏡をもつて見られる事は、心苦しい次第である。
 然し、一般の人々の立場から考へて見ると、私は余程、しばしばと作品の方向を変へるやうに思はれてゐるかも知れぬ。
 そして、嘗つてものした愚作「紙人形春の囁き」とか「狂恋の女師匠」とか云ふ、所謂下町情話物が、私の作品の中では割合に強い記憶を与へてゐるので、人々は、それを土台として、今度の「日本橋」に対して、とやかく云ふのかも判らない。
 そこで私は、それらの人々に対し、そして又一時私が凝つた(と称せられる)下町ものから脱けて、思想的の陰影の強いものへと興味を向け、今更に再び下町物へと帰つた事に対して、一通りその理由を語らねばならないと思はれる。
 私をして、昔の下町物へと戻らせた動機と云ふのは外でもない、此の夏、実に思ひがけぬ事であるが、私の「狂恋の女師匠」のプリントを仏蘭西からわざ/\買ひに来た人があつた。
 その人は、日仏協会の人で、絶えず彼我の文明の交換に就いて努力してゐる人であるが、仏蘭西の芸術の当局者の人々よりの依頼を受けて、日本映画を買込みに来たものである。
 それは、現在欧州を風靡してゐる東洋趣味からの要求が第一であらうが、嘗つて村田君が持つて行つた「街の手品師」や、松竹の「萩寺心中」が巴里で上映され、或は、岡本綺堂氏の「修善寺物語」がそのまゝに日本劇として向うの劇場に、上演されたのに依り、日本の演劇、日本の映画と云ふものに対する愛好心が刺激された事も、主なる理由として挙げねばなるまいと思はれる。
 ところが、仏蘭西の観客にとつては、今の所日本の映画は、たゞ彼等の異国趣味を満足させるに過ぎないであらう。日本の風景、日本の風俗、広重の錦画を見、ピエル・ロチの『お菊さん』を見る心持ちを以つてのみ、日本映画に愛着を感じてゐるのでなからうか?
 それでもよい。それに美を感じ、それを愛して呉れる事は、あながち我等にとつて、恥のみではないのだ。
 しかし乍ら――、彼等の憧れる瓦葺の屋根の下に、彼等の愛する絹の衣の下に、優れた日本の「美を感ずる魂」を含める事が出来たら、よりよき事ではなからうか。
 いや、われらは、彼等をして絹の衣の美しさを感ぜしむると共に、その衣の下にある、「日本の心」を感じさせなければならないのだ。
 嘗つては、一介…

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