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雪の夜
ゆきのよる
作品ID47053
著者織田 作之助
文字遣い新字新仮名
底本 「定本織田作之助全集 第二巻」 文泉堂出版
1976(昭和51)年4月25日
初出「文芸」1941(昭和16)年6月
入力者桃沢まり
校正者小林繁雄
公開 / 更新2008-08-30 / 2014-09-21
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 大晦日に雪が降った。朝から降り出して、大阪から船の著く頃にはしとしと牡丹雪だった。夜になってもやまなかった。
 毎年多くて二度、それも寒にはいってから降るのが普通なのだ。いったいが温い土地である。こんなことは珍しいと、温泉宿の女中は客に語った。往来のはげしい流川通でさえ一寸も積りました。大晦日にこれでは露天の商人がかわいそうだと、女中は赤い手をこすった。入湯客はいずれも温泉場の正月をすごしに来て良い身分である。せめて降りやんでくれたらと、客を湯殿に案内したついでに帳場の窓から流川通を覗いてみて、若い女中は来年の暦を買いそこねてしまった。
 毎年大晦日の晩、給金をもらってから運勢づきの暦を買いに出る。が、今夜は例年の暦屋も出ていない。雪は重く、降りやまなかった。窓を閉めて、おお、寒む。なんとなく諦めた顔になった。注連繩屋も蜜柑屋も出ていなかった。似顔絵描き、粘土彫刻屋は今夜はどうしているだろうか。
 しかし、さすがに流川通である。雪の下は都会めかしたアスファルトで、その上を昼間は走る亀ノ井バスの女車掌が言うとおり「別府の道頓堀でございます」から、土産物屋、洋品屋、飲食店など殆んど軒並みに皎々と明るかった。
 その明りがあるから、蝋燭も電池も要らぬ。カフェ・ピリケンの前にひとり、易者が出ていた。今夜も出ていた。見台の横に番傘をしばりつけ、それで雪を避けている筈だが、黒いマントはしかし真っ白で、眉毛まで情なく濡れ下っていた。雪達磨のようにじっと動かず、眼ばかりきょろつかせて、あぶれた顔だった。人通りも少く、こんな時にいつまでも店を張っているのは、余程の辛抱がいる。が、今日はただの日ではないと、しょんぼり雪に吹きつけられていた。大晦日なのだ。
 だが、ピリケンの三階にある舞踏場でも休みなしに蓄音機を鳴らしていた。が、通にひとけが少いせいか、かえってひっそりと聴えた。ここにも客はなかったのである。一時間ほど前、土地の旅館の息子がぞろりとお召の着流しで来て、白い絹の襟巻をしたまま踊って行ったきり、誰も来なかった。覗きもしなかった。女中部屋でもよいからと、頭を下げた客もあるほどおびただしく正月の入湯客が流れ込んで来たと耳にはいっているのに、こんな筈はないと、囁きあうのも浅ましい顔で、三人の踊子はがたがたふるえていた。
 ひと頃上海くずれもいて十五人の踊子が、だんだん減り、いまの三人は土地の者ばかりである。ことしの始め、マネージャが無理に説き伏せて踊子に仕込んだのだが、折角体が柔くなったところで、三人は転業を考えだしている。阪神の踊子が工場へはいったと、新聞に写真入りである。私たちは何にしようかと、今夜の相談は切実だが、しかしかえって力がない。いっそ易者に見てもらおうか。
 易者はふっと首を動かせた。視線の中へ、自動車がのろのろと徐行して来た。旅館では河豚を出さぬ習慣だか…

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