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私の若い頃
わたしのわかいころ
作品ID47120
著者宮城 道雄
文字遣い新字新仮名
底本 「心の調べ」 河出書房新社
2006(平成18)年8月30日
初出「古巣の梅」1949(昭和24)年10月5日
入力者貝波明美
校正者小林繁雄
公開 / 更新2007-09-22 / 2014-09-21
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は七八歳の頃、まだ眼が少し見えていたが、その頃何よりもつらく感じた事は、春が来て四月になると、親戚の子や、近所の子が小学校へ上ることで、私も行きたいが眼が癒らない。親達は気やすめに、学校用品を一揃い買ってくれたが、私はその鞄をかけて、学校へ行く真似をして一人で遊んでいた。眼を本につけるようにして、字を教えて貰ったこともあった。またおばあさんに時々学校の門へ遊びに連れて行って貰ったが、中でみんなが元気よく体操をしたり、遊戯をしたり、また唱歌を歌いながら、遠足に出かけたりするのを聞いていると、急に悲しくなって学校の門をつかまえて泣いたことが幾度もあった。
 九歳の時、一番最後に診て貰った眼のお医者様が、この子の眼はもうどうしても癒らない。今後もよい医者とか薬とかいわれても決して迷ってはならないと、私のおばあさんに言われているのを聞いて、私はもう胸が一ぱいになった。今日こそは眼が治ると思って、楽しんでいたのに。
 私はその頃、神戸に住んでいたが、その九歳の年の六月一日に、兵庫の中島[#挿絵][#挿絵]の許へお弟子入りをした。師匠が手を取って、最初に教えられたのは「四季の花」であったが、その唄い出しの“春は花”という節の箏の音色に、私は幼いながらも、何か美しいものを感じた。
 箏を習いはじめると、昨日よりは、今日、今日よりは明日と言うように、何か希望がわいて、眼のことなど忘れて心が明るくなって来た。しかし、眼の方は何時の間にか明りも見えなくなっていた。
 師匠はきびしく、盲人は記憶力が肝腎である、一度習ったことを忘れたら、二度とは教えてやらないと常に言われた。
 ところが、私が三味線の本手の「青柳」と言う曲を忘れた時、ひどく叱られて忘れたのを思い出す迄は、御飯も食べさせない、家へも帰らせないと、留めおきをくった。ところが不思議なことに、お腹がすいてくると頭がさえて、忘れたのもつい想い出すのである。
 また寒稽古といって、寒中に戸障子を明け放して、寒い方へ向って習った中の一番むずかしいものを、百篇とか、千篇とか繰返して弾く。そして手が冷たくなると、反対に水をつけてまた弾きだす。しまいには指から血が出るようなこともあった。
 師匠がきびしかったおかげで、私は十三歳の年に、師匠の免状を許された。しかし私としては、これから本当の勉強をしたかったのであるが、もともと家が裕福でない上に、父が事業に失敗して朝鮮へ渡って行ったが、また運悪く朝鮮の田舎で賊に襲われて、重傷を受けた。私は、已むを得ず十四の年に朝鮮へ行くことになったが、途中玄界灘で海が荒れて、船の中でおばあさんと心細いおもいをした。
 仁川へ行って見ると、父の身体がまだはっきりしないので、結局私の細腕で箏の師匠をして、一家を支えなければならなくなった。
 しかし年がいかないので、はじめはあまり習いに来る人もなかった。…

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