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ディカーニカ近郷夜話 前篇
ディカーニカきんごうやわ ぜんぺん
副題03 ソロチンツイの定期市
03 ソロチンツイのヤールマルカ
著者
翻訳者平井 肇
文字遣い新字旧仮名
底本 「ディカーニカ近郷夜話 前篇」 岩波文庫、岩波書店
1937(昭和12)年7月30日
入力者oterudon
校正者伊藤時也
公開 / 更新2009-08-29 / 2014-09-21
長さの目安約 60 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

家のなかにゐるのは退屈だ。
ああ、誰か外へつれだしてお呉れ
娘つ子があそび戯れ
若い衆がうろつきまはる
賑かな賑かなところへと!
――古伝説より――

      一

 小露西亜の夏の日の夢心地と、その絢爛さ! 鳩羽いろをした果しない蒼空が、エロチックな穹窿となつて大地の上に身をかがめ、眼に見えぬ腕に佳人を抱きしめながら、うつつをぬかしてまどろむかとも思はれる、静けさと酷熱の中に燃える日盛りの、この堪へがたい暑さ! 空には散り雲ひとつなく、野づらには人声ひとつ聞えず、万象はさながら寂滅したかの如く、ただ頭上たかく天際にをののく雲雀の唄のみが、銀鈴を振るやうに大気のきざはしを通つて、愛慾に溺れた大地へ伝はり流れるのと、稀れに鴎の叫びか、甲高い鶉の鳴き声が、曠野にこだまするばかり。[#挿絵]の木立はものうげに、無心に、まるで当所なきさすらひ人のやうに、高く雲間に聳えたち、まぶしい陽の光りが絵のやうな青葉のかたまりを赫つと炎え立たせると、その下蔭の葉面には闇夜のやうな暗影が落ちて、ただ強い風のまにまに黄金いろの斑紋がぱらぱらと撒りかかる。恰好のいい向日葵のいつぱい咲き乱れた菜園の上には、翠玉石いろ、黄玉石いろ、青玉石いろ等、色さまざまな、微細な羽虫が翔び交ひ、野づらには灰いろの乾草の堆積や黄金いろの麦束が、野営を布いたやうに、果しもなく遠近に散らばつてゐる。枝もたわわに実のなつた桜桃や、梅や、林檎や、梨。空と、その澄みきつた鏡である河――誇りかに盛りあがつた緑の額縁に嵌まつてゐる河……なんと小露西亜の夏は、情慾と逸楽に充ちあふれてゐることだらう!
 ええと、一千八百……一千八百……さうだ、なんでも今から三十年ほど前の、暑い八月の、丁度かうした壮麗な輝やかしい或る夏の日のこと、小都会ソロチンツイの町から十露里ばかり手前の街道筋は、をちこちのあらゆる農村から定期市を目ざして急ぐ人波で埋まつてゐた。朝まだきから、塩や魚を積んだ荷車の列が蜿蜒として際限もなく続いてゐた。上から乾草をかぶせられた壺の山が、幽閉と暗黒に退屈しきつたとでもいふやうに、もぞもぞと蠢めき、またところどころ、荷車のうへに高く押し立てられた枠のあひだからは、けばけばしい模様を描いた丼や擂鉢の類が自慢さうに顔をのぞけては、はで好きな連中の物欲しさうな眼差を牽きつけてゐた。道ゆく人々の多くは、さうした高価な品の持主である、背の高い陶器師が、自分の商品の後ろからのろのろしたあしどりで歩みながら、絶えず、伊達者で蓮葉な陶器どもに、いやがる乾草をかぶせかぶせするのを、羨ましさうに眺めやつた。
 一方、少し離れて、麦の袋や苧や麻布や、その他いろんな自家製の品を満載した荷車を、へとへとに疲れた去勢牛に曳かせながら、その後ろから小ざつぱりした麻布の襯衣に、汚れた麻布の*寛袴を穿いた持主がのつそりのつそり歩いてゐた。彼…

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