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日本男子論
にほんだんしろん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「福沢諭吉家族論集」 岩波文庫、岩波書店
1999(平成11)年6月16日
初出「時事新報」1888(明治21)年1月13日~24日
入力者田中哲郎
校正者うきき
公開 / 更新2009-02-04 / 2014-09-21
長さの目安約 51 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 明治十八年夏の頃、『時事新報』に「日本婦人論」と題して、婦人の身は男子と同等たるべし、夫婦家に居て、男子のみ独り快楽を専らにし独り威張るべきにあらず云々の旨を記して、数日の社説に掲げ、また十九年五月の『時事新報』「男女交際論」には、男女両性の間は肉交のみにあらず、別に情交の大切なるものあれば、両性の交際自由自在なるべき道理を陳べたるに、世上に反対論も少なくして鄙見の行われたるは、記者の喜ぶ所なれども、右の「婦人論」なり、また「交際論」なり、いずれも婦人の方を本にして論を立てたるものにして、今の婦人の有様を憐れみ、何とかして少しにてもその地位の高まるようにと思う一片の婆心より筆を下したるが故に、その筆法は常に婦人の気を引き立つるの勢いを催して、男子の方に筆の鋒の向かわざりしは些と不都合にして、これを譬えば、ここに高きものと低きものと二様ありて、いずれも程好き中を得ざるゆえ、これを矯め直さんとして、ひたすらその低きものを助け、いかようにもしてこれを高くせんとて、ただ一方に苦心するのみにして、他の一方の高きに過ぐるものを低くせんとするの手段に力を尽さざりしものの如し。物の低きに過ぐるは固より宜しからずといえども、これを高くして高きに過ぐるに至るが如きは、むしろ初めのままに捨て置くに若かず。故に他の一方について高きものを低くせんとするの工風は随分難き事なれども、これを行うて失策なかるべきが故に、この一編の文においては、かの男子の高き頭を取って押さえて低くし、自然に男女両性の釣合をして程好き中を得せしめんとの腹案を以て筆を立て、「日本男子論」と題したるものなり。
 世に道徳論者ありて、日本国に道徳の根本標準を立てんなど喧しく議論して、あるいは儒道に由らんといい、あるいは仏法に従わんといい、あるいは耶蘇教を用いんというものあれば、また一方にはこれを悦ばず、儒仏耶蘇、いずれにてもこれに偏するは不便なり、つまり自愛に溺れず、博愛に流れず、まさにその中道を得たる一種の徳教を作らんというものあり。これらの言を聞けば一応はもっとも至極にして、道徳論に相違はなけれども、その目的とする所、ややもすれば自身に切ならずして他に関係するものの如し。一身の私徳を後にして、交際上の公徳を先にするものの如し。即ち家に居るの徳義よりも、世に処するの徳義を専らにするものの如し。この一点において我輩が見る所を異にすると申すその次第は、敢えて論者の道徳論を非難するにはあらざれども、前後緩急の別について問う所のものなきを得ざるなり。
 世界開闢の歴史を見るに、初めは独化の一人ありて、後に男女夫婦を生じたりという。我が日本において、国常立尊の如きは独化の神にして、伊奘諾尊、伊奘冊尊は則ち夫婦の神なり。西洋においても、先ずエデンの園に現われたる人はアダムにして、後にイーブなる女性を生じ、夫婦の道始めて行われ…

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