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京都学校の記
きょうとがっこうのき
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「福沢諭吉教育論集」 岩波文庫、岩波書店
1991(平成3)年3月18日
入力者田中哲郎
校正者noriko saito
公開 / 更新2007-12-17 / 2014-09-21
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 明治五年申五月朔日、社友早矢仕氏とともに京都にいたり、名所旧跡はもとよりこれを訪うに暇あらず、博覧会の見物ももと余輩上京の趣意にあらず、まず府下の学校を一覧せんとて、知る人に案内を乞い、諸処の学校に行きしに、その待遇きわめて厚く、塾舎・講堂、残るところなく見るを得たり。よって今、その所見の大略を記して、天下同志の人にしめすこと左の如し。
 京都の学校は明治二年より基を開きしものにて、目今、中学校と名る者四所、小学校と名るもの六十四所あり。
 市中を六十四区に分て学校の区分となせしは、かの西洋にていわゆるスクールヂストリックトならん。この一区に一所の小学校を設け、区内の貧富貴賤を問わず、男女生れて七、八歳より十三、四歳にいたる者は、皆、来りて教を受くるを許す。
 学校の内を二に分ち、男女ところを異にして手習せり。すなわち学生の私席なり。別に一区の講堂ありて、読書・数学の場所となし、手習の暇に順番を定め、十人乃至十五人ずつ、この講堂に出でて教を受く。
 一所の小学校に、筆道師・句読師・算術師、各一人、助教の数は生徒の多寡にしたがって一様ならず、あるいは一人あり、あるいは三人あり。
 学校、朝第八時に始り午後第四時に終る。科業は、いろは五十韻より用文章等の手習、九々の数、加減乗除、比例等の算術にいたり、句読は、府県名・国尽・翻訳の地理・窮理書・経済書の初歩等を授け、あるいは訳書の不足する所はしばらく漢書をもって補い、習字・算術・句読・暗誦、おのおの等を分ち、毎月、吟味の法を行い、春秋二度の大試業には、教員はもちろん、平日教授にかかわらざる者にても、皆、学校に出席し、府の知参事より年寄にいたるまで、みずから生徒に接して業を試み、その甲乙に従て、筆、紙、墨、書籍等の褒美をあたうるを例とす。ゆえにこの時に出席する官員ならびに年寄は、試業のことと、立会のことと両様を兼ぬるなり。
 小学の科を五等に分ち、吟味を経て等に登り、五等の科を終る者は中学校に入るの法なれども、学校の起立いまだ久しからざれば、中学に入る者も多からず。ただし俊秀の子女は、いまだ五科を経ざるも中学に入れ、官費をもって教うるを法とす。目今この類の者、男子八人、女子二人あり。内一人は府下髪結の子なりという。
 各校にある筆道、句読、算術師のほかに、巡講師なる者あり。その数およそ十名。六十四校を順歴して毎校に講席を設くること一月六度、この時には区内の各戸より必ず一人ずつ出席して講義を聴かしむ。その講ずるところの書は翻訳書を用い、足らざるときは漢書をも講じ、ただ字義を説くにあらず、断章取義、もって文明の趣旨を述ぶるを主とせり。
 小学校の費用は、はじめ、これを建つるとき、その半を官よりたすけ、半は市中の富豪より出だして、家を建て書籍を買い、残金は人に貸して利足を取り、永く学校の資となす。また、区内の戸毎に命じて…

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