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「草紙洗」を描いて
「そうしあらい」をかいて
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「青眉抄・青眉抄拾遺」 講談社
1976(昭和51)年11月10日
初出「大毎美術 第十六巻第十一号」1937(昭和12)年11月
入力者川山隆
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2008-11-04 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     ○

 わたくしの夢幻の国、思慕の華、それはつねにこの世の芸術の極致の境にひろがっている能楽です。わたくしは能楽をこそ人間界における芸術への一と筋辿るべき微妙な路だと思っています。

 わたくしがこんどの文展に出品したのは能楽にある小町の“草紙洗”ですが、しかしこれは能楽そのものをそのままに取ったのではありません。小町の描出を普通の人物に扱ったものですから、画面の小町は壺織の裲襠に緋の大口を穿っているのは、能楽同様な気持ですけれども、その顔には面を着けてはおりません。ですが、面[#挿絵]を能楽の面に型どっているところに、十分能楽味を保たしたわたくしの心持が表われているつもりです。この能楽に取材して、それを普通の人物に扱ったという点に、わたくしのある主張やら好みやらが含まれているわけです。

     ○

 わたくしはこの前の文展に、やはり能楽に関した“序の舞”というのを出品いたしましたが、あまり能楽がつづきますので、どうかと思う鑑賞家もいられるかと思いますが、そこがわたくしの能楽道楽なところでこういうものなら幾らでも描いてみたい希望をもっています。

 一たい能楽というものは、全くの別天地です。殊にごみごみした現代などでは、劃然と飛びはなれた夢幻の境地であり、また現実の境地でもあります。騒音雑然、人事百端とも申すべき俗世界の世の中から、足一たびこの能楽の境域にはいりますと、そこには幽雅な楽器が、わたくしたちの耳塵を払って鳴り響き、典麗高華な色彩や姿態が、鷹揚に微妙に動作いたします。それを見聴きしていますと、現つ世には見も及ばず聴きもなれざる遠い昔の歴史の世界――全く恍惚の境に引きいれられまして、わたくしどもは、それが夢であるのか、現であるのか別ちのつかない場面に魂を彷彿とさせます。

 沈麗高古な衣裳のうごき、ゆるやかな線の姿態の動き、こんな世界が、ほんとうに昔のある場面を彩どったであろうように、静寂な感覚の上に顕現してまいります。この微妙な感覚は、口舌で説きえるほど浅いものではありません。

     ○

 面は喜怒哀楽を越えた無表情なものですが、それがもし名匠の手に成ったものであり、それを着けている人が名人であったら、面は立派に喜怒哀楽の情を表わします。わたくしは曽て金剛巌師の“草紙洗”を見まして、ふかくその至妙の芸術に感動いたしたものですから、こんど、それを描いてみたのでした。

 小町の“草紙洗”というのは、ご存じのとおり、宮中の歌合せに、大伴黒主が、とうてい小町には敵わないと思ったものですから、腹黒の黒主が、小町の歌が万葉集のを剽窃したものだと称して、かねて歌集の中へ小町の歌を書きこんでおき、証拠はこの通りといったので、無実のぬれ衣を被た小町は、その歌集を洗って、新たに書きこんだ歌を洗いおとし黒主の奸計をあばくという筋なのです。

 …

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