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キャラコさん
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作品ID47493
副題08 月光曲
08 ムウン・ライト・ソナタ
著者久生 十蘭
文字遣い新字新仮名
底本 「久生十蘭全集 Ⅶ」 三一書房
1970(昭和45)年5月31日
初出「新青年」博文館、1939(昭和14)年7月号
入力者tatsuki
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2009-01-25 / 2014-09-21
長さの目安約 37 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一
 ……それは、三十四五の、たいへんおおまかな感じの夫人で、大きな蘭の花の模様のついたタフタを和服に仕立て、黄土色の無地の帯を胸さがりにしめているといったふうなかたです。
 勇夫兄さまは、あれは、黄疸色というんだよ、と悪口をいいましたが、あたしは、賛成しませんでした。
 眼も、鼻も、口も、りっぱで、大きくて、ゴヤの絵にある西班牙の踊り子のような顔をしています。皓い歯で真っ赤な花を咬んでいる、あんな感じ。……窓からチラリと見ただけですから、これ以上くわしい印象は申しあげられませんわ。このゴヤ夫人は、なんでも四五年前に、有名な離婚裁判を起こしたことのあるピアニストなんですって。
 ところで、この新しい隣人は、たいへんに横暴なの。こういっていけなければ、たいへんに我ままです。越してきてからまだ十日にもならないのに、葉書で、(それが、いつも速達なの!)いろいろな苦情を申し込んで来ます。
 最初は、ブリキを引っかくような音が耳についてしようがないからなんとかしてくれ、と書いてよこしました。
 ブリキを引っかくような音! ……お父さまが宮内省からいただいた、あの愛想のいい、『孔雀氏』の啼声のことなのです。(ほんとうに、失敬ね!)
 でも、ああいうお父さまのことですから、葉書をごらんになると、その日のうちに、朝吉に持たせて木戸さまへ返しておしまいになりました。
 お兄さま。
 あなたが、戦地から帰っていらしても、あんなに可愛がっていらした孔雀氏を、もう、この庭でごらんになることはできないのですよ。
 これですむのかと思ったら、こんどは厩です。蠅が来てたまらないから、厩を田舎へでも移していただきたい。
 ブラヴォ! すこし、お驚きになって? ところで、吃驚されるのは、まだ早いのですよ。
 きのうの朝、あたしがお部屋で本を読んでいますと、花壇のほうで草でも苅るような音がしますので、見てみますと、お父さまが朝吉と二人で、花壇の花を鎌で苅っていらっしゃるのです。あんなにも丹精なすって、五年目にようやく花を咲かせた、あの竜舌蘭を!
 こんなことって、あるもんでしょうか!
 お夕食の時、あたし、思い切っておたずねして見ましたの。
 すると、お父さまは、
「お隣りのかたが、塀の上からチラチラ花がのぞいて気障りだといわれるんで、それで、苅ってしまったのだ」
 と、おっしゃいますの。
 隆男兄さまも、勇夫兄さまも、晶子姉さまも、鎮子姉さまも、(もちろん、あたしもよ!)呆気にとられて、へえ、と顔を見合わせるばかりでした。
 お父さまのなすったことですから、だれも異議は唱えませんでしたが、勇夫兄さまだけは、黙っていたくなかったと見えて、
「外国には植物嫌いというマニアがいるそうだが、お隣りも大体それに近いんだな」
 と、いいました。隆男兄さまが、
「くだらん、放っておけ」
 と、い…

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