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チェーホフ試論
チェーホフしろん
副題――チェーホフ序説の一部として――
――チェーホフじょせつのいちぶとして――
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「日本現代文學全集 91 神西清・丸岡明・由起しげ子集」 講談社
1966(昭和41)年10月19日
初出「文芸」1954(昭和29)年10月
入力者佐野良二
校正者米田
公開 / 更新2011-01-19 / 2014-09-21
長さの目安約 42 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 チェーホフの人柄については、コロレンコ、クープリン、ブーニン、ゴーリキイの回想をはじめ、弟ミハイール、妻オリガ、スタニスラーフスキイなど芸術座の人びと、そのほか無数といっていいほどの遠近の知人による証言がある。その内容は一見驚くほど似通っていて、一つの調和あるチェーホフ像を浮びあがらせ、ほかのロシア作家に見られるような毀誉褒貶の分裂がない。コロレンコは二十七歳のチェーホフの風貌を描いて、やや上背のあるほうで線のくっきりした細おもての顔は智的であると同時に田舎青年の素朴さがあったと言い、中年から晩年へかけての彼に接したスタニスラーフスキイや友人メンシコフの話によると、人中での態度は控え目でむしろおどおどしているくらい、率直で上辺を飾らず絶えて美辞麗句を口にしない。さらにメンシコフによれば、彼は進取の気象とユーモアに富んだ生活人であり、潔癖な現実家であって、一さいのロマンチックなもの、形而上的なもの、センチメンタルなものを敵として、すこぶるイギリス型の紳士であった。――要するにこれらの証言を綜合してみると、ブーニンのいわゆる「稀れに見る美しい円満な力強い性格」の人を表象することができる。そしてそこには、ロシア的なものからの鋭い切断が感じられるのだ。
 実際チェーホフは、深刻ぶった顰め面からも百姓的な粗野からも、歯ぐきを見せるような野卑な笑いからも、顔をそむけずにはいられないような神経の持ち主であった。
 ところでチェーホフの人および芸術に対する礼讃はまだまだつづく。――ある人にとっては彼は最も広い意味におけるヒューマニストであり、他の人にとっては彼の手紙にはいかにも芸術家らしい敏感な魂や人間愛が宿っており、或いはその作品を包んでいる客観のきびしさを[#「きびしさを」は底本では「さびしさを」]透して愛の光が射している。或いはその作品には「刻々に形成されてゆくもの」へのそこはかとない期待が漂っており、或いは「純粋無垢な唯美家であるとともに哀憐の使徒であり、人類に代って泣いてくれる人、乳母のようにわれわれをあやしてくれる人でもある。或いは大地のぬくもりであり、大地をうるおす春のぬか雨である……」といった調子で、チェーホフがもっとも苦手とした美辞麗句はめんめんと尽きないのである。



 だが一方、この聖チェーホフの像から円光を消すような証言も、眼をすえて見れば決して少くはない。
 まず中学や大学の級友たちの言葉によると、少年チェーホフは当時の中学生を熱狂させた問題や事件に対して冷淡であった。つまり附和雷同性がまったく無かった。謙遜であったが、それは要するに自己批判の過剰から来ており、商家の子弟に共通する性質でもあった。大学にはいってからも彼は孤独好きで、殆んど誰とも親交を結ばなかった。兄アレクサンドルが『アンクル・トム』を読んで泣かされたと書いてよこしたのに…

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