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橘曙覧評伝
たちばなのあけみひょうでん
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 14」 中央公論社
1996(平成8)年5月25日
初出「橘曙覽評傳」日本精神叢書、教學局、1941(昭和16)年3月28日
入力者kompass
校正者門田裕志
公開 / 更新2013-09-01 / 2014-09-16
長さの目安約 132 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

一 晩年の作物


天皇[#「天皇」の左に「オホキミ(?)」のルビ]は 神にしますぞ。天皇の勅としいはゞ、畏みまつれ
天の下清くはらひて、上古の御まつりごとに復る よろこべ

橘ノ曙覧が、越前福井三橋の志濃夫廼舎で、五十七年の生涯を終へたのは、慶応四年八月二十八日であつた。
「此日、早旦自ら起たざるを知り、一二、後事を遺命し、且つ、如キレ斯クノ古来未曾有の大御代に遭ひながら、眼前、復古の盛儀大典を見奉るに至らず、況や、かねての抱負も、将に達するに向はむとして、今日はかなく世を去るこそ、返す/″\も口惜しけれとて、切歯瞑目せられたり。聞く人、其志のほどを悲しまざる者なかりき」と、臨終の様を追懐したのは、彼の長男井出今滋である。(明治卅六年作、橘曙覧小伝)
この英雄風な最期の記述せられてゐる日は、京都では、既に東京行幸の為の訓諭が出るまでに、新代の光りが照りわたつてゐた。
その前日、八月廿七日には、紫宸殿に御して御即位式を行はせられた。大礼の則る所は古典にあつて、中古以来、儀装・冠服皆唐制に拠つたのを廃せられた。越前福井までは、まだ其御儀の仔細が、伝聞せられるに到らなかつたであらう。今数日、世を去ることが遅かつたなら、彼の末期の心は、如何ばかり明らかであつたことであらう。三日前(廿五日)には、越後柏崎で、日柳燕石が死んでゐる。彼とは風馬牛の生活を終つたのだが、同じ越路に来て、同じ思ひに没したことが、ある因縁を感ぜしめる。八月廿三日には、会津城の一部が落ちた。廿二日、嘉彰親王新発田城に入城ある。廿一日には、即位礼を行はせ給ふ旨の奉告に、奉幣使が、皇大神宮に向ふ。北越地方では、その十六日に、長岡藩の反将河井継之助が敗死する。十五日には、西園寺公望が、村松に入つた。此より先、六月、北陸道鎮撫使を罷め、会津征討越後口総督府参謀となつて居たのである。十二日には、総督嘉彰親王、越後三条に進まれてゐる。この六月、軍務官知事として、会津征討越後口総督として征途に就かれ、廿七日には、敦賀に次られてゐる。その二日前、八月十日には、鹿児島から廻航した西郷隆盛が、柏崎に来着して、総督宮に拝謁して、新潟に向つてゐる。京都では、八月九日、加茂社行幸がある。
彼の死後、最近の日次を見ると、その翌日、山階陵・後月輪東陵に御参拝。四日目の九月二日には、嘉彰親王、新発田城を本営とせられる。三日には、福井藩主松平茂昭、命を受けて、永平寺の宗規を調べ定めることゝなる。九月八日改元。明治と号した。一世一元に定まつたのである。九日、丹羽長国(二本松藩主)降る。十一日、上杉斉憲、子茂憲を遣して、嘉彰親王に新発田に謁して謝罪し、会津征伐先鋒を命ぜられる。十三日、京都では、大久保利通、江戸の事態を陳べ、発輦の期が定められる。諸侯の国々の状況で目につくのは、九月十九日、仙石久利、但馬出石城を毀つことを請願して聴さ…

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