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神楽(その一)
かぐら(そのいち)
作品ID47685
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 21」 中央公論社
1996(平成8)年11月10日
初出「神楽研究」壬生書院、1934(昭和9)年5月
入力者門田裕志
校正者フクポー
公開 / 更新2018-05-04 / 2018-04-26
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

こんなに立派な本が出来たのですから、私の序文など必要がない訣です。たゞ、著者への親しみが、何か言はせずに措かないのです。
かぐらと言ふ語の解釈は、西角井さんにも出来てゐると思ひますが、猶少しばかり申し添へて置いた方が、便利かと思ひます。普通世間の人が言うてゐる解釈は、私たちを刺戟しませんから、こゝに並べる事を止めます。端的に言ふと、日本の神座に移動的なものがあつて、其が一つ、有力なものであつた事を見せてゐるのだと思ひます。
此語の意義は平凡です。音韻変化を持つて来る事は不自然になりますから控へますが、結局、かぐらは神座といふ熟語に過ぎません。かむくらがかぐらとなるのは自然の事です。しかし、どの神座でもかぐらと言うたのではなく、或種類の神座を、専らかぐらと言うてゐたのです。若、さうでなければ、其らの人達の持つてゐたものが有力になつて、其人らの持つてゐるものばかりを言ふ様になつたのでせう。其には、条件があります。つまり、旅をして、言ひ換へれば、移動して歩く神座に対して、世間の人が、其らの人の語を認めて、かぐらと言うた訣です。
さて、其かむくらなるものは何かと言ふと、神体を入れる容物です。しかし、其なら何でも神座であつた様ですが、少くとも私どもの考へでは、単に神体が入れてあるだけではいけないので、其が祠であり、宮殿であると感じられなければ、神座ではなかつたのです。つまり、荷物と同じものではない――もつと詳しく言ふと、旅行中に荷物の中から神体をとり出して、其を臨時に据ゑて拝ませるといふ様なものではない――ので、持つて歩くもの其ものが神座でなければならぬのです。
更に言ひ換へれば、呪術を行ふものが漂泊して、彼方此方で神体をとり出して自分達の宗教的威力を発揮する其ではなく、練つて歩きながら神を人に示すといふ行き方が、まう一つあつたと見なければならぬのです。即、神を隠してあるのと、露出してある――帳もないといふ事ではない――のと、二通りあつた事を考へねばならぬのです。
私は、其後、方言の採集を怠つてをりますので力強いことは申されないのですが、名古屋附近及び信州の上田附近では、代神楽の獅子の這入つてゐる箱をばかぐらと申してゐます。此は一例ですが、少くとも、獅子頭が旅行するには、其が露出してゐる必要があつたのです。でなければ、精霊を退散させる威力が発揮出来なかつたのです。
此獅子頭の這入つてゐるものを箱と言ひましたが、正確に箱ではなく、実は荷物になつてゐるのです。其の一番適切にあらはれてゐるのが吉田天王(豊橋市)の絵巻物で、此を見ますと、殆、頭にかぶつてゐると見えるほどの低さで、頭上に獅子の這入つた箱を一本の棒で捧げた人がゐるのです。
で、名古屋と上田とでは心細いのですが、ほゞ方言の運搬された径路は想像されます。北信と尾張平野とをつなぐ路線を採訪して見れば、最違つた意味に於て…

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