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刎橋の受け台について
はねばしのうけだいについて
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「東京の風俗」 冨山房百科文庫、冨山房
1978(昭和53)年3月29日
入力者門田裕志
校正者伊藤時也
公開 / 更新2009-01-17 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 吉原のおはぐろ溝とこれに架かつた刎橋――(一葉がこの字を使つている)――「たけくらべ」にいふ「……垢ぬけのせし三十あまりの年増、小ざつぱりとせし唐棧ぞろひに紺足袋はきて、雪駄ちやらちやら忙がしげに横抱きの小包はとはでもしるし、茶屋が棧橋とんと沙汰して、廻り遠やこゝからあげまする、誂へ物の仕事やさんとこのあたりに言ふぞかし……」、この棧橋。
 この構造については、――前に調べたことがあつたが、その時よく分らなかつたのは、廓内の向うから落ちて架かつて来る刎橋を溝のこつちがしで受け留める、その「受け台」についてゞある。
 ところが、それがやつと分つたので、何かの文献にもと、書いておくことにした。
 元々このハネバシについてぼくが書いたのは、前にも説明したやうに、舞踊の装置方をたのまれたからで、それで、ぼくとしては矢来町からの名指しでは、といふわけで、気込んで、多少は見ても書いても知つてゐたこの材料についてのチシキを、もつとしつかりしたものにしようと、前に記したやうに、あの土地へ出かけて、古老に聞きなどしたものだつた。ハネバシ考の「考」の字は飛んだひようたんから駒のいきさつを自ら喋したつもりだつた。――しかし受け台のことばかりは、その時分らず仕舞ひだつた。土地の古老の話もそこははつきりしなかつた。
 いふ迄もなく「現地調査」にわざわざ千束町から龍泉寺町、地方今戸界隈迄、出かけたとは云つても、それは丁度、旅順へ観光に出かけて在りし日の激戦の様を偲ばうとするやうなもので、地形だけはざつと似てゐようとも、そこには溝も無ければ「橋」など痕跡さへその後は止どめない。やつと最後の状態の溝の川幅がコンクリートで舗装された道に、この辺かと、推定が付く位ゐのことである。
 刎橋と云ひ、また一葉の文章には棧橋とあつても、それは一つのものである。「廻り遠やこゝから……」とあるのが大門口から廻つて茶屋の正面へ行くのは廻り遠や、この裏通りの橋から水口へあげまするといふ意味だ、などと、穿鑿するまでも無い。舞踊に見得の切れさうな橋は無いと思ふが、仕事やさんのとんと沙汰するにはおはぐろ溝の棧橋(刎橋)は、持つて来いの廓への近道だつた。
 吉原の一廓は溝でぐるりと、囲まれてゐたので、廓内から廓外へ出る便宜の棧橋に渡されたものが家々の溝に面する裏口から架けた刎橋で、これにはつくり附けの、つまり架けつぱなしの「橋」といふ構造は一つも無い。皆刎ね上る刎橋、いひ代へれば「板」で出来たもので、必要に応じてその板を紐の操作に依つてこつちから向うへと渡す。(時間決めで暫くは橋は架かつたまゝにしてあつたものも中には在つたといふ。)そして刎橋の特徴は、それを廓内から廓外へすとんと架け渡すことは出来ても、外から内へと渡す仕組には造れなかつたことである。これは昔の城廓の刎橋と同じことで、刎橋の一番の意味と面白さがこれで…

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