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異版 浅草灯籠
いはん あさくさどうろう
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「東京恋慕帖」 ちくま学芸文庫、筑摩書房
2004(平成16)年10月10日
入力者門田裕志
校正者酒井和郎
公開 / 更新2015-12-20 / 2015-11-21
長さの目安約 35 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

花川戸の家

 人生辛酸を幾多経た今日でも私の記憶から喪失することのできないのは、三歳から十四歳までの春秋をおくつた浅草花川戸の家である。祖父、祖母、大叔母、小婢と私の一家五人が、世の中も亦平穏多倖なりし明治末年から大正中世までを何苦労もなく起臥してゐた。五渡亭国貞の絵がいかに婉やかに美しいか、それを教へたのはあの大そう腰の曲つた祖母であつた、児雷也豪傑譚や白縫譚さては万亭応賀の釈迦八相記がいかに怪奇で悲哀であるか、それを知らせて呉れたのはあの切髪にしたいろの黒い背の高い大叔母であつた、『江戸砂子』の作者菊岡沾涼の息と己とはありし日の茶飲友だちであつたわと私に屡々語つて呉れたは、顔一めんの痘痕のあとの子供心にも怖しかつた祖父であつた。それかあらぬか祖父は月並の発句もやつたし、川柳点の狂句もやつた、『柳多留』の原本と手摺れて光沢のでた古碁盤とは、いつも祖父を偲ぶとき、なつかしくわが目の前にあらはれて来ずにはおかない。
 祖父はつひに死ぬまで「東京」を「とうけい」と発音し、また「日々新聞」を「ひびしんぶん」、「台湾島」を「だいわんたう」などと云つてゐた。祖母は「ステイション」と云ふ言葉が「すてんしよ」としか云へなかつた。私がそのころ「郵便局」と云ふより「駅逓」と云つた方が合点が早かつたのも大叔母の感化に他ならなかつたのであらう。即ち私はかゝる旧弊至極なる徳川文明の灯かげ一と時代前の生活の中に育まれては来たのである、と云つたら、人、今日のわが作品のあり方に付いても微笑んで肯つて貰へるであらう。

 花川戸と云つても私の家は、講談「安政三組盃」中の与力鈴木藤吉郎の妾宅や落語「清正公酒屋」の虎屋饅頭お仲が清七との仲を割かれて隔離されてゐたごときすみだ川沿ひではなく馬道の通りの中程から東へ折れた新道にあつた。従つて私の家のおもて二階からは観音堂や仁王門五重塔さては弁天山の鐘撞堂などが、大銀杏の木かげ東錦絵のやうに美しく見えてゐた。この鐘楼では近火のたびに早鐘を撞き鳴らして一種、もの/\しい不安の念を、私たち少年の耳に響かせた。
 私の家は五十坪に足らなかつたが、それでも町内では筋向ふにあつた鼻緒商の隠宅の六十坪に次ぐ広さであつたため、よく「坊つちやんのお家はお広いから」と近所の人々が私に云つた。その鼻緒商の家には大きな蒼々とした桐の木があり私のところの小庭にはそれ丈けが少し不釣合ひな位小高い松ヶ枝が一ともと忍返しの上へもの/\しく聳え立つてゐた。さゝやかなる築山には皐月が群生してゐて早夏真紅の花を燃やし、松の根方の八重山吹はまた暮春黄色い花を朽井戸の底深くへと散込ませた。沈丁花、山椒、野木瓜、黐それに泉水ちかく老梅の古木が、蜿々として奇なる枝振りを、見事に撓り、屈らせてゐた。私は大雪の夜など祖母とたゞ二人お湯へ入つては庭に面した小窓の障子を、湯槽の中から手を伸ばしてはそ…

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