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惨めな文学的環境
みじめなぶんがくてきかんきょう
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の原爆文学1 原民喜」 ほるぷ出版
1983(昭和58)年8月1日
入力者ジェラスガイ
校正者大野晋
公開 / 更新2002-09-26 / 2014-09-17
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)
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本文より




 昨夜あなたは田中英光のことを近々書くといっていたが、直接面識のあったあなたの書くものは面白いだろうと期待しています。彼の死は何という悲惨な日本文化の象徴でしょう、どうも惨めなのはひとり英光だけでなく、これはほとんどわれ/\文筆業者全体の置かれている惨めさではないかと思います。恐らく二十五年度もあのような惨めな現象はつゞくのではないかと思えます。
 昨夜もあなたと話合いましたが英光の「さようなら」に出てくる弱い一兵卒のぎり/\の抵抗を以て死んでゆく姿には鬼気迫るものが感じられます。しかし、世間一般の田中英光に対する興味はもっと低い、そしてかなり残酷なところにあったのではないかとどうしても疑いたくなります。
 私は最近ジュラル・ド・ネルヴァルの「夢と人生」を読んで非常に心打たれました。その錯乱のスケールの巨きさ、美しさ。ここではヨーロッパの神と形而上学が狂気の精密な描写とかみ合って幻夢の如く表現されています。たとえネルヴァルの生涯は不幸だったにしろ、彼こそはフランス・サンボリストの先駆者の栄光を担っています。
 それに比べると、田中英光の錯乱振りは現在の日本の風俗的悲惨の別冊版のような気がします。そういう意味でなら後世一顧されることはあっても、彼の作品が内面的に未来の文学へ架橋するものはなさそうです。だがこれとても独り田中英光に限ったことではなく今日のほとんどすべての作家が陥いっている惨めさなのでしょう。
 本多秋五は「近代文学」十二月号の後記で、いゝ仕事をつゞけてきた文芸雑誌が存続してゆかなくなる現状を指摘し、「文学的良心を代償としても経営の繁栄をはかる以外に生存の道がないという鉄則がわれ/\の面前でうち樹てられたようである」といっています。文学的にいゝ雰囲気が一般に出来上るのはいつのことでしょう。

美は 追いつめられた姿から生れ出る、美は 実りそして激しい力づよさで
うち砕く、旧いうつわを。
――(リルケ)――

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