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寄席行灯
よせあんどん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「寄席囃子 正岡容寄席随筆集」 河出文庫、河出書房新社
2007(平成19)年9月20日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2009-01-19 / 2014-09-21
長さの目安約 21 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

   秋色寄席懐古


 秋になると、あたしの思い出に、旧東京の寄席風景のいくつかが、きっと、儚い幻灯の玻瑠絵ほどに滲み出す。
 京橋の金沢――あすこは、新秋九月の宵がよかった。まだ、暮れきって間もない高座が、哀しいくらい明るくって、二階ばかりの寄席(旧東京の、ことに、寄席にはこういう建築が多かった。神田の白梅、浅草の並木、みんなそうだった。明治の草双紙の、ざんぎり何とかというような毒婦ものでもひもといたらきっとこういう寄席のしじまは挿絵に見られる)から、それこそ錦絵そっくりの土蔵壁が、仄かにくっきりとうかがわれた。
 三十間堀あたりの町娘や、金春芸者のひと群が、きっと、なまめかしく桟敷にいて、よけい、「東京」らしい華やかさに濡れそぼけていた。若い女たちが嬉々と笑いさざめく時、高座では青い狐の憑いたような万橘がきっと、あの甲高い、はち切れたあけびの実みたいな声をあげて、
[#挿絵]あれは当麻の
 中将姫だよ
 やっとよーいやさ
 あーれはありゃりゃんりゃん
 その最後のありゃりゃんを、ことさら、瓦斯の灯の燃え沸るほど、ひとふし、張りあげてうたうのだった。が、きょうびはあの飄逸な万橘の唄も、我らの欣喜渇仰するほどこの頃の寄席のお客には迎えられず春風柳の田舎唄に一蹴されて、到底、そのかみの意気だにないという。
 先の女房を虐げて追い出した(?)とかの祟りで、昔から寄席の儲かる時分になると、万橘は脳を患っては休むのが常だ――と、これも、自分は、金沢華やかなりし頃、嘘か、まことか、耳にしたことも、こうなると、いっそ秋寒い。
 林家正蔵のスケをたのまれ、一度だけ自分はこの金沢の二世である東朝座の高座へ立つことがあったが、安支那料理屋みたいなペンキ塗りのバラックでそのかみのような下町娘は、金春芸者は、そして白壁は、広重は――もはや、見出せようよしもなかった。
 桑名をながれる揖斐川の水は、今も秋くれば蒼いのにあの万橘の「桑名の殿様」がもう、東京という都会からは、歓迎されずに亡びてゆくか?と考えたら、それも、決して偶然な運命ではないように想われて、あたしは泪ぐみたいような気にさえなってくることが仕方がなかった――。これがあたしの思い出の第一。

 本郷の若竹の銀襖を、晩夏の夜の愁しみとうたいしは、金子光晴君門下の今は亡き宮島貞丈君だった。ほんとうにここはまた、山の手らしい、いつも薄青い瓦斯灯の灯の世界であった。めくらで、あしの立たなかった、あの小せんを最後に聴いたのが、この若竹の秋の夜だった。
 小せんは、通り庭になっている秋草の植えこんであるあたりを、きっと俥から下りると、前座に負われて楽屋入りした。――それが寄席からうかがわれるので、いっそ、我らに涙だった。
 小せんの上がる前というと御簾が下りる。蒲団へ座った小せんの四隅を、前座がもって高座に上げる。――やがて、音も…

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