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リルケ年譜
リルケねんぷ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第五巻」 筑摩書房
1982(昭和57)年9月30日
初出「四季 第八号 リルケ研究」1935(昭和10)年5月20日
入力者tatsuki
校正者岡村和彦
公開 / 更新2013-02-14 / 2016-01-18
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 一八七五年 十二月四日、ボヘミヤの首都プラアグに生る。古き貴族の後裔なりと云ふ。
 一八八五年 幼年學校に入學。五年在學の後、退學す。
 一八九六年 ミュンヘンに出づ。既に「人生と小曲」(Leben und Lieder, 1894)「家神奉幣」(Larenopfer, 1896)等の詩集を出版せしも未だ世間の視聽を集めるに足らず。それ等の詩風は概ねスラヴ民謠風のものなり、又ハイネを思はしむるもの少からず。この頃丁抹の作家ヤコブセンの作品を知りて私淑す。
 一八九七年 引き續きミュンヘンに滯在。春、初めて伊太利に遊ぶ。秋、伯林に赴く。この頃リリエンクロオン、ホフマンスタアル、デエメル等と交る。「夢を冠に」(Traumgekr[#挿絵]nt, 詩集)を著す。
 一八九八年 再び伊太利に遊び、フロオレンス等に多く留る。「基督降誕節」(Advent, 詩集)「人生に沿ひつつ」(Am Leben Hin, 短篇集)を著す。
 一八九九年 四月末、ルウ・アンドレアス・サロメ夫人に伴はれて、初めて露西亞へ旅す。モスコウにてトルストイに會ふ。――又ドストエフスキイを愛讀し、その「貧しき人々」の飜譯などを試む(未定稿)。「二つのプラアグの物語」(Zwei Prager Geschichten, 短篇集)「我が祝に」(Mir zur Feier, 詩集)を著す。(後者は一九〇九年に「舊詩集」(Fr[#挿絵]hen Gedichte)と増補改題せらる。)
 一九〇〇年 五月、再びサロメ夫人と共に露西亞へ放す。――この二囘にわたる露西亞滯在は彼の生涯に一轉機を劃せり。
「露西亞こそは私には眞の現實でありました、それと同時に、現實といふものは遠方にあるものであり、そして忍耐づよい者にのみ極めて徐々に近づいてくるものであると云ふ事を、深く、日常的に、私に認識させて呉れました。露西亞は孤獨者の國です。其處では各自が各自の世界を所有してゐるやうに見えます。山のやうな暗黒に充ち滿ちて。――各自は、非常に謙遜ぶかく、眞に信仰あるものとして、卑下することを一向怖れませぬ。」(エレン・ケイ宛書翰)

 是度はトルストイをヤスナヤ・ポリヤナに訪ひ、それより南露西亞を遍歴す。――露西亞より歸りて後、北獨逸の一寒村ヴォルプスヴェデに淹留す。其地に屯せるマッケンゼン、モオデルゾオン、フォゲラア等の青年畫家に共鳴したればなり。「愛する神の話その他」(Vom Lieben Gott und Anderes, 短篇集)を著す。
 一九〇一年 クララ・ウェストホフと結婚す。クララは嘗てロダンに學びしことある女流彫刻家なり。この頃より漸くロダンに傾倒し始む。
 一九〇二年 「家常茶飯」(Das t[#挿絵]gliche Leben, 戲曲)「最終の人々」(Die Letzten, 短篇集)を著す。又、「形象詩集…

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