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燕尾服着初めの記
えんびふくきぞめのき
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻75 紳士」 作品社
1997(平成9)年5月25日
入力者浦山敦子
校正者noriko saito
公開 / 更新2009-06-26 / 2014-09-21
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

    (一)

 此れは逗子の浦曲に住む漁師にて候、吾れいまだ天長節外務大臣の夜会てふものを見ず候ほどに、――と能がゝりの足どり怪しく明治卅二年十一月三日の夕方のそり/\新橋停車場の改札口を出で来れるは、斯く申す小生なり。
 懐中には外務大臣子爵青木周蔵、子爵夫人エリサベツトの名を署したる一葉の夜会招待券を後生大事と風呂敷に包みて入れたり。そも此の招待券につきては、待つ間の焦心、得ての歓喜、紛失の恐れ、掏摸の心配は、果たして如何なりけん。貧乏人が一万円の札を手に入れたる時の心地ぞ斯くある可しと思ひぬ。偖招待券は首尾よく手に入りぬ。一難纔に去りて一難また到る、招待券には明記して曰く、燕尾服着用と。燕尾服、燕尾服、あゝ燕尾服、爾を如何。小生の古つゞらに貯ふる処は僅にスコツチの背広が一領、其れも九年前に拵へたれば窮屈なること夥しく、居敷のあたり雑巾の如くにさゝれて、白昼には市中をあるけぬ代物。あゝ困つたな、如何したものであらう、損料出して古着屋から借りるかな、など思うて居る内、燕尾服が無くて困るだろう、少し古いが余計なのが一領ある、貸してあげよう、ついでに着せもしてやらうと青山の兄から牡丹餅の様に甘い文言、偖こそ胸撫で下し、招待券の御伴して、逗子より新橋へは来りしなりけり。
 燕尾服の手前もあれば、停車場前の理髪店に飛び込み、早く早くとせき立てながら、髪苅り、髭剃り、此れならば大丈夫と鏡を見れば、南無三、頭は仏蘭西流とやら額のあたりだけ長く後短につまれて、まんまと都風になりすましたれど、潮風に染めし顔の何処までも田舎らしきが笑止なる。よし/\、本来の田舎漢、何ぞ其様な事を気に介せむや。吾此の大の眼を瞠りて帝国ホテルに寄り集ふ限りの淑女紳士を睨み殺し呉れむず。昔木曾殿と云ふ武士もありしを。

    (二)

 車を飛ばして兄の家に着けば、日暮れたり。其れ夕飯よ、其れ顔洗ふ湯をとれ、と台所を犇めかして、夜会の時間は午後八時、まだ時もあれど用意は早きが宜しと、早速更衣にかゝりぬ。
 兄、嫂、阿甥、阿姪、書生など三階総出の舞台の中央にすつくと突立つ木強漢(むくつけをとこ)。其れ韈(くつした)をお穿きなさい。韈は穿きぬ。今度は糊のごわ/\したる白胸シヤツを頭からすつぽりかぶされて、ぐわさぐわさと袖を通せば是はしたり袖、拳を没すること三四寸。
「まあ、如何しませう」
「縫あげするさ」
「一寸と糸を持つて御出」
 腕を[#挿絵]つて毒箭の毒をぬかせた関羽もどきに、小生はぽかんと立つてぬつと両手を出して居れば、阿姪が笑ひ/\縫い上げをなし終りぬ。シヤツの肩上げは済みたり。いでカラアの釦鈕をはめむとするに、手の短いかはりに、頸は大きく、容易に篏らず。幸なるかな、書生君は柔術の達人なれば、片手に咽をしめ、片手にカラアをひいて、頸はやう/\カラアに入りぬ。此間小生は唯運を天に任し、…

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