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千川の桜
せんかわのさくら
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「桂月全集 第二卷 紀行一」 興文社内桂月全集刊行會
1922(大正11)年7月9日
入力者H.YAM
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2008-09-22 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

小金井の山櫻の區域盡きて、境橋架れる處より、玉川上水分派し、練馬驛、東長崎驛を經て、板橋に入る。これを千川上水と稱す。大正四年、この上水べりに櫻と楓との若木を植ゑ付けたりと聞く。さても花の名所の増加すること哉。
 大正五年四月十日、風強し。花の都變じて塵の都となる。庭の樹空に舞ひ、障子がた/\動きて止まず。裸男生來風が大嫌ひ也。このやうに風の吹く日は、頭をかきむしらるゝ心地して、筆とること能はず。布團被つて寢むか、消極的也。むしろ積極的に家を出でて、風と鬪はむ哉。
 池袋より電車に乘りて、板橋驛に下る。この驛を過ぐる者、試みに東方を見よ。數十間の彼方に、高き石塔あらむ。これ幕末の際、新選組の二頭領なりし近藤勇と土方歳三との墓也。二人ともに多摩川畔の農家に生れたるが、起つて劍を執つて幕府に盡し、勇は捕へられて、此の地に殺され、歳三は函館に討死せり。順逆誤れりと雖も、亦一代の壯士也。
 停車場を出でて數十間行けば、一小溝路を横切る。これ千川上水也。上水の右岸に沿ひ、上水のまゝに中仙道と別れて川越街道を行き、やがて川越街道とも別れ、上水に沿うて行くこと數町、上水の兩側に若き竝木を見る。その三分の二は櫻、三分の一は楓也。凡そ十町にして、五郎窪橋に至る。日暮れかゝりければ、目白驛さして歸途に就く。風は依然して強し。直立しては歩し難し。風に向つて上體を屈して歩くに、餘程力を入れざれば、吹倒されむとす。斯く歩くにも困難なる強風なるに、この日、青山原頭、鳥人スミス氏は飛行機の宙返りを爲したりと聞く。又風力は三十二米突にて、スミス氏は世界の飛行のレコードを破れりと聞く。嗚呼壯んなる哉。
 あくる日出直して、目白驛を過ぎ、東長崎驛を右手に見るより間もなく、昨日引返したる五郎窪橋に至り、千川上水に沿うて、上へと行く。若木の櫻あり、楓もあり。上水は道路に接す。道の兩側に家竝あり、樹林あり、麥畑あり。練馬驛あたりに至れば、人家やゝ賑ふ。而して櫻も間もなく盡きたり。櫻の區域は練馬驛附近より東長崎驛附近までの間にて、凡そ一里もあるべし。武藏野の一部に一種の風致を添へたるが、櫻のみならず、楓を植ゑたるは、面白き思付き也。海晏寺今や楓の名所にあらずして、墓地也。瀧野川の楓のみにては物足らぬ心地す。他年、千川は櫻の名所よりも楓の名所とならむかと思はるゝ也。
 千川上水を行き盡して、玉川上水に出づ。こゝは小金井の櫻の區域終りて、新武藏野の櫻の區域始まらむとする處也。櫻の長大なること、千川の比に非ず。十歳内外の小娘の群を離れて、十八九の娘の群に接するが如き心地す。上つて小金井の山櫻を見むか。下つて新武藏野の吉野櫻を見むか。花より團子、否、酒。掛茶屋に飛込みて、『きぬかつぎ』を肴に、瓢酒を飮む。日暮れむとす。微雨いたる。傘を持たず。瓢酒つくると共に、境驛へとて、濡れながら走る人あり、女のもてる傘にも…

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