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久地の梅林
くじのばいりん
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「桂月全集 第二卷 紀行一」 興文社内桂月全集刊行會
1922(大正11)年7月9日
入力者H.YAM
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2008-09-10 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

あはれや、庭の梅三四本、何も肥料をやらざれど、春くれば、花を著く。鶯も來り鳴く。裸男、窓の内にて、之を聽いて、獨り樂しみ居りしに、『今日は』とて、十口坊來たる。午食を共にして、一二時間雜談に過ごしけるが、十口坊曰く、『梅の時候になりぬ。何處かへお伴申さむ。さるにても梅は何處が好きか。教へ給へ』といふに、裸男得意になり、『花といへば櫻、花見といへば、櫻を見にゆくことをいふ。梅も、花は花なれども、梅を見にゆくことを花見とは云はずして、梅見といふ。又探梅とも云ふ。この探梅の探の語が面白し。探るは、活動的也、又奮鬪的也。櫻の咲く頃は、春風駘蕩、猫も杓子も浮れ出す。さるに、梅花の頃は、春寒料峭たり。霜柱もあれば、雪さへ降る。梅を探るには、寒風と戰はざるべからず、雪と戰はざるべからず、泥濘と戰はざるべからず。元來梅そのものが氣骨ある木也。氣骨ある人に非ずんば、梅と同化する能はざるべし。青年にして、梅を探る者あらば、われ高尚なる趣味を解するものとして、之を取る。老人にして梅を探る者あらば、必ずや意氣地なき老いぼれにはあらず』と陳べ立つれば、『そんな村夫子的御説法は眞ツ平なり』と冷かす。
『さらば、梅の名所を説かむ。先づ大和の月瀬が第一なるべし。熱海の梅園は、山腰に據り、清溪流れて、雅致あり。小田原城址の小峯山、水戸の第一第二の二公園にも、梅林あり。杉田は横濱より二里餘、小山を負ひ、海に面して、梅多し。本牧の三溪園にも梅林あり。鶴見の花月園にも梅あり。近く東京の南郊にては、大森驛畔の八景園、池上の曙樓、蒲田の梅屋敷、原村の立春梅などあり。小向の梅園は無くなれり。江東にては、向島の花屋敷、四木の吉野園に梅林あり。龜戸の臥龍梅は、惜しや、老木枯れたり。江東梅園も、木下川梅園も廢れたり。龜戸天神の梅林も無くなれり。西郊角筈の銀世界も無くなりたり。市内にては、湯島天神、芝公園、深川公園などにも梅林あるが、關東にては、青梅在の吉野村の梅を見ずんば、梅を説くの資格なかるべし。四面みな梅、多摩川其の中を貫きて、一村みな梅、老梅も多し。越生在の津久根にも、越ヶ谷にも、多摩川畔の久地にも、梅林あり。越ヶ谷と久地とは、われ未だ之を見ず』と云へば、『さらば其の久地の梅を探らむ』といふ。山神も隨行せむことを乞ひしが、『今から行きては日暮れむ』とて躊躇す。『知らずや、梅は晩が香氣高きもの也。又梅に副へたきものは、清き水也。林和靖の「疎影横斜水清淺、暗香浮動月黄昏」の句は、古今の絶唱也。久地は多摩川畔にあれば、その清淺の水もあり。今から行けば、時も亦好きに非ずや』と、裸男知つた風の事云へば、なるほどと山神感服して、共に出で立つ。
 目白より山手線の電車に乘り、澁谷に下りて、玉川行きの電車に乘り、大山街道を通りて、終點の二子の渡に下る。臺地に據りて、眺望の佳なる行善寺あり。清水堂に擬して造りたる祇園閣の…

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