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勲章を貰う話
くんしょうをもらうはなし
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「菊池寛 短篇と戯曲」 文芸春秋
1988(昭和63)年3月25日
入力者真先芳秋
校正者らぴす
公開 / 更新1999-05-18 / 2014-09-17
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

          一

 春が来た。欧州戦争第二年目の春が来た。すべてのものを破壊し、多くの人類を殺傷している戦争も、春が蘇ってくるのだけは、どうすることもできなかった。
 戦争の荒し壊す力よりも、もっと大きい力が、砲弾に砕かれた塹壕の、ベトンとベトンの割れ目から緑の芳草となって萌え始めた。砲弾に頂を削り去られた樺の木にも、下枝いっぱいに瑞々しい若芽が、芽ぐんできた。
 冬の間、塹壕の戦士たちの退屈な心を腐らせた陰鬱な空の色が、日に日に快活な薄緑の色に変っていった。
 戦線に近いプルコウにある野戦病院の患者たちも、銘々蘇ってきた春を、心のうちから貪り味わった。彼らが戦場における陰惨な苦しい過去を考えると、ガラス窓を通して、病室のうちに漂うている平和な春の光が、何物よりも貴く思われるのであった。
 ワルシャワから、コヴノ要塞にかけての戦場で、有名を轟かした士官候補生イワノウィッチの負傷も、もうまったく癒えていた。
 彼は、露暦三月十三日の朝、いつよりも早く目をさました。のどかな春の朝であった。病院の廊下に吊るされた籠の中の駒鳥は、朝早くから鳴きしきって、負傷兵たちの夢を破っていた。イワノウィッチは、寝台の上に起き直ると、両手を思い切り広げて大きい伸びをしようとした。が、右の手だけは彼の神経の命ずる通りに動いたが、左の方には、彼の神経中枢の命令を奉ずる何物も残っていなかった。彼は苦笑した。彼にはまだ、左の手が存在するような感覚だけが残っていた。そして、その感覚のために度々欺かれた。が、この朝だけは、自分が不具になったという悔恨は、少しも残っていなかった。
 彼は二、三日前、総司令部からこの日ニコライ太公が、戦線からの帰途この病院を訪うて、サン・ジョルジェ十字勲章を彼に与えるという通知を受けていた。その勲章には三百ルーブルの年金が付いていた。彼はこの名誉と年金とをもって、元の大学生生活にかえろうと思っていた。そして静かな、煩わされない生活を楽しもうと思っていた。
 サン・ジョルジェ十字勲章に、彼は十分に相当していた。「勇士イワノウィッチの五つの英雄的行動」といったような話は、戦場美談として、広く流布されていた。この病院に来る特志看護婦や、いろいろな団体の慰問使は、有名な勇士イワノウィッチに握手を求めることを忘れなかった。
 イワノウィッチは、今朝、なんのわだかまりもない晴々とした心持であった。彼は、廊下に吊るされた籠の中の、駒鳥の快い鳴き声を寝台の上でききながら、太公が彼に勲章をくれる晴れがましい情景を想像してみた。
 イワノウィッチは、まったく得意であった。彼はのびやかな心持で寝台から下りると、真新しい軍服に着替えた。彼は久し振りに軍服を着たのであった。左の腕がないために、服の袖がだらりとしているのが淋しかった。が、それは、彼ののうのうとした心持を曇らすには足…

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