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真間・蘆屋の昔がたり
まま・あしやのむかしがたり
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 6」 中央公論社
1995(平成7)年7月10日
初出「国学院雑誌 第五十三巻第一号」1952(昭和27)年4月
入力者H.YAM
校正者門田裕志
公開 / 更新2008-10-28 / 2014-09-21
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

この国学院大学の前身の国学院、及び国学院大学で、私ども万葉集を習ひました。その時分ちようど、木村正辞先生といふ、近世での万葉学者がをられまして、私ども教へて頂きました。
その外に、畠山健先生が、万葉集を教へてをられました。木村先生といふのは、旧時代から名高い万葉学者で、謂はゞ正しい伝統を持つた方です。畠山先生は万葉やら、源氏やら、徒然草やら、宇治拾遺やら、いろ/\なものを教へて下さいました。だから当時の大学予科生なる私どもは、畠山先生の万葉集を教はることが残念に思はれました。高等師範部の前身の師範部の方に、木村先生の時間がありまして、師範部の方が、よい待遇を受けてゐるやうな気がして、師範部の時間を盗み聴きに行きました。けれども、年を取つてをられまして、昔の評判と、実際とは相当違ふといふやうな感じを、僣越ながら受けまして。所が、畠山健先生の万葉講義といふのは素晴らしいいい講義だつたので、大変我々万葉学の刺戟を受けまして、やはりかうして教へて下さるだけに、それだけの深い用意があつたのだといふことをば始めてつく/″\と知つたことでした。もうその先生たちも皆亡くなられて、お墓々々も冷えきつてゐます。さうして、今では亦、私の受けた印象などになかつた事のやうに、木村先生が、江戸持ち越しの万葉学の権威のやうな形に考へをさめられてゐます。其は其として、よい事なのです。かういふ話をしておくのも、それらの先生の供養にも、国学院大学の歴史の補ひにもなるかと思つて申上げてゐるわけですが、よく考へて見ますと、実際古典を専門にしてまゐりました我々の国学院でありますが、この国学院で本道に万葉を専門にしてをられた人を名ざしする段になると、容易なことではありません。木村先生に習ひましたけれども、もう先生の万葉には我々若干あき足らぬ気持を感じた位で、その外には、外の文科系統の文献の専門家は沢山いらつしやいましたが、万葉の専門家は木村先生を除けば一人もをられなかつた。だから我々は何とか万葉の本道の先生を得たい。この他に更に、さう言ふ先生を得たいといふやうな欲に燃えてをりました。その望みもとう/\達することが出来ずじまひになりました。恐らく武田君も少し遅れて這入つて来たのですから、或はその木村先生につかずにしまつたかも知れません。武田君への先生の伝統、これは、万葉学では、大事の事ですから、よく調べておきます。我々二人は万葉をば専門にして来たけれども、万葉の学者としては非常に不幸で、本筋の万葉学の伝統には、若い時代には、触れてをらないといふことにならうかと思ひます。木村正辞先生をある点まで無視したやうな話で、誠に申し訳ない事になりますが、――そんな有様なのでした。肝腎の国学院がそれですから、まあ世間の万葉学といふものも、筋を考へる段になると、大体おしはかることが出来ます。その後、明治三十年代を通つて…

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