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青春の息の痕
せいしゅんのいきのあと
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「青春の息の痕」 角川文庫、角川書店
1951(昭和26)年4月30日、1965(昭和40)年10月30日31版
入力者藤原隆行
校正者土屋隆
公開 / 更新2008-09-05 / 2014-09-21
長さの目安約 257 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 序


 これは私が大正三年秋二十二歳の時一高を退学してから、主として、二十七歳の時「出家とその弟子」を世に問うまで、青春の数年間、孤独の間に病を養いつつ、宗教的思索に沈みかつ燃えていた時代に、やはり一高時代のクラスメートで、大学卒業前後の向上期にありし久保正夫君および久保謙君に宛てて書き送った手紙を編み集めたものである。
 両君とも一通も失わずに保存していて下さった。
 もとよりこれらの手紙は公表することなど予期して書かれたものではない。この寂寥と試練の期間を私はひとえに両君の友情に――というよりも友情の文通に支えられて生きた。私は遠くはなれて住み、一、二度しか相会うことはできなかった。それに海岸から、病院へ、それから温泉へ、それから修道園へ、と私は病を養いつつさまよっていたから。
 この期間の私たちの友情は実に美しく、高いものであった。生への宗教的思慕と、文学的探究心と、そして知性ある情熱とが友情を裏づけていた。私たちの思索、なやみ、実践への方向は少なくとも人生の最高のものを、最も虔ましい態度において志向していた。
 二十二、三歳から二十七、八歳までの血潮多き青年同志が、そのひたむきななやみに充ちた生をこれだけ知性ある友情によって支え、清き自律をもってしめくくりえていることはまれなのではあるまいか。
 ともかく私はこれらの手紙を読み返して、その Leiden がまともに人性的であることと、心術が世俗の濁りに染んでいないことと、解決を求める仕方が深く、高くモラルを堅持している点において、今の若き世代に感染してもいいものではないかと思うのである。
 なぜなら今は世をあげて、戦争や経済的改組の問題に忙殺されているように見えるが、やがて日本にも、世界にも新しき神学的時代が来ねばならぬことを私は予感しているからだ。
 人類はその生活をも一度ラディカルに見直さねばならない。民族国家の問題、経済革命の問題もその根本を一度神学的に批判されるのでなければ、全人類を福祉あらしめる恒久の平和の原理を見いだすことは不可能であろう。一つの民族の光栄とはそれが天の栄えをわかつ時にのみ光栄なのである。
 この本が「ある神学青年の手紙の束」と傍題されたのは、その内容が広き意味におけるセオロジカルな課題として人生を考え、取り扱っているからである。
 実際に私は、集中の一つの手紙が示しているように、ある時期には、カトリックの僧侶たらんと欲していたのである。
「青春の息の痕」というのは、涙の痕が手紙に残ってるように、菩提樹に若き日にナイフで傷つけた痕がいつまでも残ってるように、青春の苦悩の溜息の痕を示すという意味である。
 もとよりこの手紙集はそれらの解決に応えるためにあるのではない。しかし生と人間性の根本を神学的に考えとらえんとする志向と感情とを示唆しうるであろう。
 青春においては、む…

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